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364 喜の章(24) 5月15日から16日

75日目:2020年5月15日(金)
全国の感染者数  55人
十海県の感染者数  0人

 遅めに目覚めてだらだらと過ごす。いつも通りに彼女がバイトから帰ってくる。

 例によってコンビニ弁当の昼食。
 夜のお店のほうはどう?
「17日まで休業要請が延長されている。聞いてみたけれど、具体的に営業再開できるタイミングもまだ決められないらしい」
 休業手当は?
「協力金の振り込みがまだだし、家賃とか他の支払いの関係もあるので、もうしばらく時間がかかるって」

 窓を開ける。曇り空、ここ数日の暑さはない。それでも扇風機のスイッチを入れて、彼女が話し始める。

「年が明けて、わたしがお店に最初に出勤したのが金曜日。彼がひとりでやってきて、次の週は月曜が祝日で、会社は火曜が月曜のようになるので、火曜の夜に会わないか、と小さな声で誘ってくれた。SFアドベンチャーの映画を観たいのだけれどいいかな?もちろんOKしたよ。5時にシネコンのロビーで待ち合わせ。観たのは『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』。彼は年末の公開すぐに観て、2回目だった。どうだった、と感想を聞かれて『楽しかった。けれど設定とかがよくわからなくて』と答えた。今までシリーズは観たことは?と聞かれて『無い』と言うと、じゃあ来年、そのあと早ければ再来年と新作の公開予定がある。よければ一緒に予習をしようか? 『是非』と答えた」

「食事をしながら、『映画はよくご覧になるのですか』と聞いたら、本数はそんなでもないけれど、スター・ウォーズは子供の頃に始めて劇場で観た映画で、ずっとファンでいる。亡くなった家内と一緒に新作を観に行けなかったのが残念だった、としんみりと言う。話題を変えようと思って、『他にハマっている作品とかあるんですか?』と聞いたら、京アニのアニメ、と言った。『京アニって、涼宮ハルヒですよね』。そうそう、観たの?『友達に誘われて、高校入試の発表を待っているときに『消失』を観ました』。テレビシリーズは?『観てなかったんです』。じゃあ、話を追うのが少し難しかったでしょう。『それで、アニメを観るかわりに原作のラノベを、春休みに一気に読みました』。ちょうど京アニ制作のテレビアニメが始まる、良かったら録画するので、一緒に観ないか? これも『是非』と答えた」

「それから毎週月曜日、祝日のときは火曜日の夜を、ホテルの彼のセミスイートで過ごすようになった。目立つといけないので、シングルルームをわたしの名前で予約してくれて、自分でチェックインする。彼が部屋に向かい、わたしはしばらくロビーで待ってから彼の部屋へ向かう。早めにチェックインして、ルームサービスのお食事を食べながら、彼が持ってきたスター・ウォーズシリーズのブルーレイと、BSの深夜放送で彼が録画した『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のブルーレイを、それぞれ1日1枚ずつ観た。彼と『大人』の関係になったのは、『旧3部作』が終わり、ヴァイオレットちゃんが『ドール』の養成学校を卒業した日だった。別れ際に5万円いただくのは、ずっと変わらず続いた」

「その間も彼は、だいたい毎週水曜日にお店にやって来た。最初に来店したときのメンバーと一緒のこともあれば、初めての人を連れてくることもあった。もちろん一人で来店することも。2月初めのある日、ママに言われた。のぞみちゃん、あの人と『大人』の仲になったでしょう。さすがに夜の世界が長いママ。すべてお見通しだった。店外でのことに、とやかく言いません。ただし、お店では絶対にお客さんとスタッフの関係を越えないこと。彼もその点は心得ているようで、一人で来たとき以外は1対1にならないようにしていた」

「4月第一週の月曜日、『スター・ウォーズ』の予習は終わり、『ヴァイオレット』があと2回になってた。ふだんより少し早く、4時に十海駅前で待ち合わせした。駅から北に伸びるアーケード街を歩いて、突き当りの天大経済学部キャンパスへ向かった。校舎の列の横を通って、奥のグラウンドに行った。周囲に桜の並木。彼はソメイヨシノだと言った。ちょうど満開から散り初めの頃で、はらはらひらりとピンクの花びらが舞っていた。『奥様とも見に来られたのですか?』。うん、初めて出会ったのがここなんだ」

「ちょうど、桜が今と同じくらいの頃だった。二人とも別々に見に来ていて、すれ違いざまに彼女がピンクのハンカチを落とした。気づいた私が拾って、追いかけて渡した。それから二人並んで桜を見て、それがきっかけになってつき合うようになった。30年以上も前、まだここが国立十海経済大学だった頃の話しさ、と、懐かしいような、ちょっと寂しいような表情で彼が話をする。駅前へ戻る途中、アーケード街のレディス・ファッションのお店の前に、ピンクのハンカチが並んでいた。そうそう、あのとき拾って家内に渡したのは、ちょうどこんなハンカチだった。君にプレゼントしてもいいかな?『嬉しいです』。そうやって彼に買ってもらったのが、キミが拾ってくれたハンカチなんだよ」

 ボクをお茶に誘ったの...そのことと関係あるの?
「うーん...わからないなあ。ただ、あのときのキミの瞳が、とても清々しそうだったのは、覚えているよ」

 夕方、郵便受けを見に下りて行くと、定額給付金の申請書が市役所から届いていた。

76日目:2020年5月16日(土)
全国の感染者数  56人
十海県の感染者数  0人

 強い雨の中を彼女はバイトに出かけたようだ。目覚めて窓を開けると、少し冷んやりとした空気が入ってきた。

 スマホを見ていたら、競馬サイトがまた表示される。よほどボクに申し込みしてもらいたいみたいだ。まあ、申し込みだけならタダだから、案内に従って必要事項を入力する。手続きが完了した頃に、彼女がバイトを終えて帰ってきた。 

 昼食をすますと、二人それぞれ定額給付金の申請書を作成する。彼女は帰りに免許証コピーをとってきていた。雨が止まないので、投函は、免許証コピーをとりがてら、明日ボクが行くことにする。

 横になって、いつも通り3時ちょうどに起きてくると、彼女はコーヒーを淹れて、話を続ける。

「彼とのことをLINEで、キャバクラで一緒だった麗奈さんに話した。それってパパ活じゃん、と麗奈さん。パパ活って言葉があることは知っていたけれど、中身はあまり知らなかったので、検索して調べてみた。出会いはネットを使うのが一般的。アプリや交際クラブにプロフィールや希望を登録して、男性からのオファーを待つ。SNSでもできるけれど、リスクが高いのであまりお勧めできないって。男性からオファーが来て、気に入れば顔合わせの約束をして会う。それだけで交通費として5000円貰える。二回目以降は交渉次第。お食事だけなら5000円。一緒にショッピングしたり映画を観たりすれば1万円から。そして「大人」の関係になると3万円から」

「彼と京アニの『リズと青い鳥』を観た日の夜に、パパ活とその相場の話をした。『いま5万円いただいているのは、ちょっと高すぎるように思うの』。すると彼が言った。私は、君に対して値段を付けているんじゃない。君が会ってくれることについての対価ということでもない。君を応援したい、という自分の気持ちの価値を測った結果が、最初に渡そうとした10万円だった。君の意思を尊重して結局5万円になったけれど、私の気持ちに変わりはない。もしも対価ということを考えるとすれば、こうすることで君の自由を束縛しないための、けじめだと思う。だから、好きな人ができたら交際してくれても構わないし、パパ活で稼ごうと思うなら、それも構わない」

「彼にいただく分は、できれば全部将来のための貯金に回したいと思っていた。でもそれには、生活費や衣装代を賄うのが足りなかった。パパ活の『大人』で稼げるようになれば、とても楽になる。けれど彼のことが気になって、なかなか踏み出せずにいた。7月あたまに、公開されたばかりの『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』を彼と観に行った日の夜に、その気持ちを正直に話してみた。彼は、やってみたいと思うならやってみて、それから考えたらいい。私のことは気にしないで、と言った」

 なんか信じられない反応だね。
「うん、でもキミとこうしていられるのも、彼のそういうところのおかげだよ」
 一息入れると、彼女が続ける。

「次の日、十海県専門のアプリに登録し、全国的な交際クラブに申し込んだ。どちらも女性は登録無料。交際クラブは3日後に面接。経歴、生活状況、趣味、希望の交際条件などを話し、身分証明書のコピーを渡して、写真を撮影された。2日後に連絡があって、審査結果は最上級ランク。けれど出会いの機会を広げるならば、あえて一つ下のランクに登録することもできる、と勧められたので、そうしてもらった。アプリも交際クラブも『どのようなおつき合いをするかは、最初にお会いしてから決めたいと思います』という希望をプロフィールに書いた」

「最初に会ったのは、アプリ経由の人。十海駅前の老舗の喫茶店で待ち合わせして、一時間ほどお話しした。大手企業の管理職という触れ込みの紳士的な人だったけど、ちょっと違うな、思ったので、正直に話して、交通費だけいただいて終わりにした。次の人もアプリ経由。会社経営の、感じのよさそうな人だったので、2回目にデートとお食事をした。けれど、次はどうする、という話になって、『大人』はちょっと、と言ったら、それきりになった」

「彼とは、今まで通り、月曜に会って一夜を過ごした。わたしがポケモンのゲームをすることを知っていた彼が、ポケモン映画を一緒に観に行って欲しい。高齢男性一人では観に行くのが恥ずかしくて、これまで行くことができなかった、と言ったので、公開された『みんなの物語』を劇場に観に行った。彼には、パパ活のことも包み隠さず話した。会った人がどんなだったかについてわたしが説明するのを、楽しそうに聞いてくれたよ」

 雨は夜まで続いた。今日はさすがに扇風機の出番はなかった。
 ケネクティ。そして二人抱き合って眠る。

<つづく>


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