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カウンターパンチ

どうしたもんかなぁと問題に思っていたことの突破口として、その道のプロフェッショナルに時間をもらった。

事前に前提状況(相談内容)は伝えていたものの、実はウチウチでは「こうすればうまくいくのでは?」というアイデアはあって、それをまとめた資料は送らずにその場で見せることに。

ところが、相談内容を話し終わった直後から、私たちのアイデアと似た(というかほぼ同じ)プランについて、「例えば◯◯みたいな感じはよくあるんですけど、このケースではけっこう難しいかなと思っていて」と、先にダメ出しを喰らってしまった。

まさにカウンターパンチ🤛

とても丁寧で親切な人なので、難しいと思う理由とか、それよりもこうした方がいいのではないか、とかめちゃくちゃ教えてもらって、お時間頂きすみません!!!と帰ってきた。

今となっては、「こうすればうまくいくんじゃない?」と軽く(軽いつもりはなかったのだけど)考えていた自分が恥ずかしい。

なので、なぜ、安易なアイデアに飛びついてしまったのかを考えて、書いてみます。

人の価値を塊として見てしまった

ある程度の集客実績はある対象だったので、それなりの価値はあるだろうと考えた。確かに、価値はある。けれど、それを大雑把な塊として見て、何かに活用できるのでは?と考えてしまった。この人たちがなぜこの場に集まるのか?を、もっと丁寧に考えれば、その中身はかなり多様で特殊で、一括りにすることは難しい対象だと気づけたはず。

それに気づけばこのアイデアが安易で、都合の良い考えに基づいたものだと気づいたはず。今すぐ反省会だ。

その「場」の魅力に気づいてない

この人たちって、そもそもこういう目的のために来てる人たちですよね?

この場所って、つまりはこういうことですよね?

と、いろいろ質問をもらった。そうです、そのとおりです。じつはさらに、こんなことも言えるんです。と答えながら、自分が気づいていない、この「場」の価値を再認識した。

もっともっと、ちゃんと価値を見出せてないことがたくさんあるなぁと気付かされた。

今現状、難しいなぁと思ってしまってるが故に、良い点も魅力もひっくるめて「問題」のように捉えてしまい、今以上の魅力を引き出すことを、やり切れてなかったなぁと思った。

何をギブできるか。

提供できると思っていたものの価値が、そもそもあまりない、というカウンターパンチを喰らってしまったことで、アポイントの後半は、相手に提供できるメリットが無さすぎて困り果ててしまった。

以前私はこの人から、「エスねえは究極のギバーだ」と言ってもらったことがある。ギバーってなんのこと?と、教えてもらった「GIVE AND TAKE」という本を読み、それは過大評価過ぎる!!と思いながら、でも、嬉しいなぁ、そうありたいなぁ、と思ったことを思い出した。

今日の私は、訪問前はマッチャーだった。双方折り合いがつくと思っていた。でもカウンターパンチでこちらがギブできるものがなくなってしまったので、テイカーとしてやって来た人になってしまったのだ。

最悪だな。

でも、最悪だけど幸いなことに、今の私はこの状態を、めちゃくちゃ居心地悪く感じている。だからまだ大丈夫だと思いたい。

今日のお返しはちゃんとしたい。
何倍にもしてお返ししたいなぁ。

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