人生最後の育休終了日に思うこと。


毎日はカレンダーには載らない記念日の連続だ。



妊娠検査薬で陽性が出た日。

元彼と付き合った日。

小学校時代の同級生の誕生日。

行きつけのお店が潰れた日。


毎日カレンダーを見るたびに、私はそんなことを思い出している。



全てを特別視していたら、毎日がケーキまみれになってしまうし、

涙がいくつあっても足りない。

でも、今日は少し「今日という日」を噛みしめたい。






今日は、私の人生最後の育休が終わる日。




今回は2回目の育休だったけど、

今後、私の人生において育休を取ることはもうない。



夫に言わせれば、

「長期休暇はきっと今後も取るよ」

「子供達なしの自由時間が恋しいのなら、保育園に預けている時間はフリーだ」

ということだけれど、そうじゃない。



そうじゃない。

というなんとも言えない気持ちが浮かんでは消えて、

無視しようと思えばできたのだけど、

もう2度とこないこの日を覚えておきたくて、せめて記録に残そうと決めた。





「育休」


初めて取った時は、孤独だった。

辛かった。はやく逃げ出したかった。


毎日、夫を見送ってから数分間玄関のドアを見つめていた。

何かの間違いで、すぐ戻ってきてくれないかな。

夫じゃなくても誰かがこのドアを開けてくれないかな。


そんなことを考えていたのを覚えている。

仕事が多忙だった時に憧れていた、

昼間のワイドショーを見ながら、のんびりランチや

平日の昼間っからお昼寝、

子供のベビーカーをおしながらお散歩

なんてものは、当時の私には全く魅力的ではなかった。


よく聞くやつである。

「社会と分断されていると感じる」

「大人と会話したい」

「いつ泣き出すか分からない赤ん坊が爆弾のようで怖い」


そんな私は長女が7ヶ月になる頃に逃げるように育休から復帰した。



そんな苦い思い出の1回目育休から3年。


今回の育休は、コロナウイルスの影響で想定外の延長もしたが、

かなり楽しむことができた。


途中、かなり長期で実家に帰っていたり、

夫が産前から今日までほぼ在宅勤務で家族全員を支えてくれていたり、

たくさんの手を借りたわけだけど、

そのお陰もありメタメタに長女と次女を可愛がった。

たくさん肌をくっつけていた記憶がある。


家族4人で毎日笑顔でご飯を食べ、

お散歩に行き、

お風呂に入った。

おんなじベッドで毎日20時に寝た。




記憶が全体的にグレースケールな長女の時とは大違い。

幸せだった。




ここまで書いていて分かった。

私、幸せだったんだ。

そう。

今回の育休は逃げたいんじゃなく、幸せだったからこそ名残惜しいんだ。



あぁ、よかった。

このことに改めて気付けただけでもnoteを書いた意味がある。




この幸せな気持ちを抱きしめて、明日からまた仕事に復帰する。

可愛い可愛い娘たちと夫に感謝しながら、私自身の人生もリスタートだ。






誰にも祝ってもらえない記念日だけど、

小さなケーキを1つ買ってきた。



私、お疲れさま。

頑張ったね。

幸せだったね。

人生を終える時に、きっとこの育休期間のことを思い出すね。


育児は苦手!と思ってたけど、やれるじゃん!って思えたね。


私の人生の中で、

少し他とは色合いの違うこの1年を大事に大事にしまっておこうと思う。


そして、たまに引っ張り出して懐かしむとしよう。



さよなら、私の最後の育休。

ありがとう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?