漫画について【自分のための文章】【自戒】

今とても落ち込んでいて寝ようとしてもおそらく眠れないので、私はマイナスな気持ちを文章にして言語化すると少し落ち着くのでなんで漫画を描いてるか自分のためだけに文章化して、今後落ち込んでも自分で自分を再確認できるように残します。乱文失礼。私の頭の中の気持ち悪い部分が以下続きます。

記憶が正しければ、私は3歳くらいから漫画を描いていた。確か初めての作品はお茶犬のキャラを用いて自分で話を考えて描いたものだったはず。

今そのノートを見返すとコマ割りもぐちゃぐちゃで、見ると笑ってしまうくらい漫画の作法のさの字もないのだが、この頃から中学生までは本当に楽しんで漫画を描いていた。

小学生に上がって、学校から帰ればキャンパスの罫線ノートを開いてお茶犬の漫画を描いていたように思う。小学校で一番の友達とお茶犬の雑誌を作ったり、夜はその子と電話してキャラになりきってストーリーを即興で作る即興劇のようなものをしていた。即興で何か面白い展開ができたとき、その子と高い声をあげてわくわくしながらお茶犬になりきっていた記憶が今でも鮮明にある。ストーリーを作る、創作をするということに楽しさしかなかったし、本当にあの時間は尊くて楽しい時間だった。

人様のキャラクターでカオスな二次創作をして本当に申し訳なかったと今では思うが、自分で新たにキャラ付けが加えられたお茶犬達がノートの中で勝手に動き出すのが本当に気持ちよくて楽しくて、この頃描いた漫画ノートの冊数は多分描きかけも含めて20冊くらいはあると思う。

小学校高学年くらいになると、アニメにもハマり出し(今はそんなにその頃の影を出さないが、もともとスポ根漫画や男キャラばかり出てくるような作品が好きな夢女子とか腐女子の類だったのである)、この頃から人間を描くようになる。これらの作品の二次創作漫画のようなものはあまり描かなかったが、イラストを描くのが楽しくて、人間を描くという新しい道が開いた頃だった。

段々腐女子ウケ作品から離れだして、サブカルアングラ漫画に嗜好が寄ってくのはだいたい中学2〜3年か高校生くらいだったかと思う。漫画はまだまだ描いてないが、この頃も絵を描く行為は本当に楽しかったし、たくさん描いてて創作意欲にも溢れてたと思う。課題でポスターを描けばバンバン賞を取れるし、絵は上手い方だったし名声・実力(井の中の蛙だが)ともに人生の最高潮だった中学生活であった。そして、サブカル漫画へと興味が移ると自分もこんな作品を描きたいと思うようになっていった。「惡の華」のように、自分の事が描いてあると読者に思わせるような作品を描きたいと思っていた。

しかし高校に上がって、高校2年くらいだか?になると創作意欲が徐々に落ちてきた。高校に入って、陽キャはだいたい性格が悪いと思い込んでいて暗い性格である自分の自尊心を保っていたものが、陽キャで自分より頭がよく、しかも性格が良い人(今思えば、常識があるという方が正しいかもしれない)が沢山いて、自分を保ってた自尊心(悪く言えば、人を見下していた)が全て崩れて性格も少し変わってしまった。自分を責めすぎるようになった。同じ美術部に絵がとんでもなく上手くて、人生全部絵を描く事に捧げてるような子を目の当たりにして、自分が井の中の蛙だったことを知った。うますぎて悔しさすらもあまり覚えなかった。

高3になり、受験で自分の進路を本気で考え出す頃になった。本当は美大に行きたかったが、普通の私大を志望する事にした。美大に行きたいと言えば、きっと親は応援してくれて高い学費を払ってくれただろうし、どこかしらの美大に入れる力は多分にあったと思う。だが、私は高い学費の対価を自分の実力で払える気がしなくて、自分で美大を諦めてしまったのだ。

高3は本当に最悪な時期だった。毎日孤独で泣いていたし、死にたいと思っていた。薬にも頼った。自傷行為もした。そんな中で私の創作意欲はあるわけがなかった。高校で唯一楽しかった部活の皆との時間も無くなり、ほとんど絵を描かなくなった。そんな中で、偏差値39くらいの芸術学部を滑り止めにしていたのは私がまだ絵を諦めたくないと抗った証拠なのかもしれない。運良く(運悪く?)一個引っかかった私大に潜り込めたが、もし滑り止めに進学していたら、また別の未来があったのかもしれない。

大学を進学して、やっぱり居心地が良いとのことで美術サークルに入ったが、正直全く創作意欲が湧かなかった。1年生〜2年の初めは真面目に作っていたし、熱中した時もあったが、大学の授業も思ったより忙しく、気づいたら大学3年生の終わりになっていた。

大学3年生は就活を真面目にしていた。けど、その一方で漫画のことがずっと気がかりだった。やらないで諦めていいのか?編集者志望だけど、もし漫画編集者になって、自分がなりたかった漫画家という存在と才能を目の当たりにしたとき、果たして自分は正気でいられるのか?そんな事を考えていた。

大学3年になる前に、一個作品を賞に投稿した。本当に作画が酷い出来だったが、話は好きだった。もちろん賞に入るわけがなかったが、帰ってきた講評のランクが5段階中上から2番目で、自分が思っていたより評価が悪くなかったことや、自分が好きなストーリーがちゃんと評価されていた。

もしかしたら、もう一回やってみたら、何か結果が出るんじゃないか?そう思ってまた描き出した。

正直自分が漫画家を本格的に目指し始めたのは就活への逃げも確実にあるだろう。きっと、就活すれば少しの苦労をして、けどどっかしらには内定をもらって、そこそこ安定して平凡に楽しい未来が待っているとは思うし、別に自分が完全に社会不適合者だとは思っていないのでなんやかんややっていけるのだとは思う。社会の歯車の一部になるのが嫌なんだ!!なんて青臭いこともそんなに思ってない。
けど、もう人間関係には疲れてしまった。いざこざも嫌だし、集団で孤立するのも嫌だし、人が沢山いるオフィスで集中して仕事ができる性格ではないし、笑い声が聞こえると怖いし、大学の行き帰りに頭痛がするし、同期と仲良くしなきゃとかあの子の方が人望があるとか今日は誰とお昼食べようとか、そういう事を気にしなくてはいけないのがもう辛い。それは幼稚園(この頃からいじめられ体質だった。けど私は被害者であった過去と同時に加害者の時もあったので、まぁ一概にいじめられてばかりとは言えない)から小中高大の18年間で痛いほど味わった。クラスで一人ぼっちになる経験をする人間はそう多くないと思うし、一人で1年間受験シーズンを過ごしてきた自分を今後の人生では労っても良いのかなとも思う。まぁここは自分を変えられない自分の落ち度もあると思うけど。(人間関係への恨みつらみを書いているが、今でも私と交流してくれてる中高の部活や大学のサークルの友達はもれなく全員大好きだ)

自分は去来の内向型HSPINFPなので、友好を築く方の対人スキルが全く育たなかったし今も無い。バイトで自分から社員に話しかけることも仕事の質問以外ほとんど無い。会話の中で、自分の本音を声に出して瞬発的に言語化することが苦手なのだ。だから、私は漫画(もしくは液晶に打ち出される文字)という手段を用いて自分はこういう人間ですよ、こういうものが好きなんですよ、というのを提示している。声ではないツールを用いることで、やっと人とのコミュニケーションが成立すると思っている。実際、自分が好きな話(大体暗い話だが)を描いている時や話を考えている時は楽しいし、自分の経験を落とし込むという手法でもって漫画を描く時、自分と向き合ってるようで落ち着く。私は人とコミュニケーションを取りたいから漫画を描いているのだ。

あとはやっぱり、コンプレックスを持っている自分を救ってあげたいからという部分がとても大きい。正直美大や専門に行ってる人みんなに対して、その道を選べた勇気とその環境に羨ましいと常々思っている。私はブルーピリオドを読めるようになりたいのだ。そして、漫画家になるのが夢だった小中学生の私と、絵に対して挫折感を持った高校大学生の私を救ってあげたいのだ。とことん自分本位で目指してしまって申し訳ないが、もちろん私の漫画を面白いと思ってもらえるとか、いつか誰かの人生の救いになれればと思っているのは大前提である。

なんかひたすら私の自分史を書いて終わってしまった気がするが。まぁ1時間半前の落ち込んでた気持ちがだいぶ薄れたからいいか。
描かなければ終わりなので、また明日ネームを完成させて編集さんに送ってみようと思う。

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