見出し画像

海軍兵学校の怪談

 旧海軍兵学校はその長い歴史故か、怪談に事欠くことがないようです。
 一概に怪談と言っても聞き間違いや見間違い、他の怪談との混合、そして実際にあったことまで、さまざまなケースがあるでしょう。
 どこまでならありえそうか、どこからが想像力で補完されていそうか。そうした想像を巡らせるのもまた、怪談の醍醐味であり楽しみ方です。
 というわけで、旧海軍兵学校に伝わると言われる怪談を、いろいろと捏ね繰り回してみました。

 くれぐれも、日本を守る人たちを揶揄する意図はありません。

 ただ、信じる信じないはともかく、居合わせたときのベストな対応は胸に止めておきたいものです。


軍艦明石のマストの信号員

 軍艦明石のマストで、昼夜問わず、いないはずの人影が手旗を打っていることがある。この人影は、直視してはならない。実はその信号員は「シ・ネ・シ・ネ・シ・ネ…」と打ち続けているとか、何を打っているかは伝わらないが信号を読んでしまうと早死にするとか言われている

 非常に不気味な話だ。体育をしているとき、教務を受けているとき、ふと視界の隅高いところで、手旗を打つ影がある。それに気付いたら、決して見てはならないという。誰を相手にするでもなく、マストに立ち空に向かってただ腕を振り続ける、彼だけの時間を繰り返す姿は、いかにもこちらの寿命を縮めそうである。
 ところで細かい点になるが、夜は発光信号ではないらしい。マストの上に機材がないからだろうか。手旗は最初と最後に「起信・終信」というカギカッコのようなものがつく。これがないと、いつまでもエンターキーを叩かずにキーボードを打っているようなものなのだが、彼はこれを打っているのだろうか。
 加えて、江田島の生活はいろいろ厳しいと聞く。この信号を読めるほど余裕と視力のある学生は、そうそういるのか。それともこれは、余裕のある上級の学生や、教官にあてた信号なのか……そう考えると、違う意味でもなかなか怖い話である。誰にあてたわけでもない信号を発信し続けている、という不気味さも、個人的にはぐっとくる。
 当人に会えたら、いろいろ聞いてみたいものである。
※この怪談、対処方法が決まってるので、もし見てしまったら早めに目を逸らすのが肝要。

軍艦陸奥の砲塔の声

 軍艦陸奥の砲塔内で、射撃を指揮する声の聞こえることがある。また、稀に大砲の発射音が聞かれることがあるという。

 実際に軍艦陸奥に搭載されていた砲塔を、教育用に陸揚げし、この学校の敷地内に設置した。これが現在まで残り、江田内湾にその発射口を向けている。
 この怪談の関係者、実はその気になれば、詳細特定ができそうなのだ。
 軍艦陸奥の竣工は1921年、この主砲は1935年の改装時撤去されたものである。なお搭載されていた陸奥は1943年に柱島沖で爆沈した(陸奥がらみの怪談はぞくりとするものが非常に多い。陸奥記念館は慰霊の要素が強く、一度と言わず行く価値のある、独特な民間施設であると思う)。
 さて話はこの砲塔である。時期は当該主砲が搭載されていた1921~1935年の14年間。戦艦陸奥の第4砲塔に配置された者。砲塔内部で指揮しているということは砲台長という役職か(もしくはそれ以下)。代替要員や2年程度の勤務で多く見積もっても30名程度。ちなみに年代から考えると、この声は実戦ではなく訓練中。……怪談としてというより、個人特定可能なSNS投稿を見たときのようなざわつきが生まれてきたため、ここらで考えるのをやめることにする。
 余談であるが、この砲塔、江田島の湾向こうを向いている。発射したら、同じ島内に着弾してしまう。
 この砲塔は、一時期は鳩の巣になっていたそうである。鳩の声がどう聞こえていたか…怪談を精査するなら、検証の必要があるかもしれない。
※ 砲の発射音については、付近に魚雷管も展示されており、なんとも言えないところである。

上級生の怒鳴り声

 学生舎や廊下で、「4号生、トロトロ走るな!」と下級生を厳しく指導する上級生徒の声が聞こえる。

 海軍兵学校は4年制であり、最上級生が「1号生」、数字がだんだん増えて最下級生は「4号生」と呼ばれた。防衛大学校の生活を描いた漫画「あおざくら」にあるように、下級生は上級生にちょっとしたことで怒鳴られ、鍛えられながら成長していったようである。なお私、あおざくらは、最初しか読めてない。
 しかし、こんなところで何十年も下級生をしばいている場合なのか。それとも、よほどの念が残っているのか。まあ分からなくはない。上の立場になって初めて実感するものだが、指導を受けるより、指導をする側のほうがきつかったりもする。彼はそんな中間管理職の悲哀を悩み続けているのか。なんと日本人らしい声の主であろうか。くれぐれも、くれぐれも気を楽にできる場所を見つけられるよう、心の底から祈るものである。
 これも余談であるが、同じ4年システムを採用している防衛大学校では、2学年が中心となって最下級生を指導する。すなわち上からの指導は「こら1学年!」ではなく「2学年! ちゃんと指導しろ!」になる。このシステムが当時生きていたとするなら(海兵出身者の手記を読むとどうやらこのシステムだった年が多いらしいが)、この声の主、たぶん3号生(=2年生)である。
※自分への指導ではないなら、真っ向から聞く必要はない。自分の責務を全うしていればいい。

帰ってきた飛行機

 戦後のことである。かつて海軍の兵士だった当直員が部屋に詰めていると、外から大きな音が聞こえてきた。整備兵だった彼には聞き覚えがあった……これは、ある特定の回転翼の音ではないか? 外に飛び出した瞬間、目の前をその大きな回転翼機が滑るように着陸した。機体が目の前を過ぎる一瞬、操縦席の人物が敬礼をした。咄嗟に答礼すると、そのまま機体は夜の闇に消えていった。翌朝調べると、目立てた砂の上に、タイヤの跡が残っていたという。

 怖いというより、どこか哀しみを感じる話である。この学舎を卒業した人が航空機に乗り、そして母校へ帰ってきたのだろうか。航空機で発った基地でも、飛ぶ技術を学んだ場所でもなく海兵であるという話は船乗りにも語られ、「同期の桜」という歌にも歌われる通りである。
 ちなみに私、この話を雑誌かなにかで読んだと思ったのだが、知り合いから似た話を直接聞いてもいる。なんども帰還を繰り返しているとなると、それはそれで怖いし、とても哀しい話だとも思う。
※非軍人の敬礼は、帽子をしている場合は帽子を左手で取り、その左手を胸に当てる。軍人の場合、着帽では右手を掲げ、脱帽では10度の敬礼を行う。その場に遭遇したら、礼を失しない対応を心掛けたい。

 こうしてみるとメジャーな話ばかりですね。海軍独特の怪談としては艦艇がらみのものになりますが、教育現場となると、やはり人に絡んだ話になるようです。
 せっかくなので最後に、かつて聞き及んだ江田島怪談や、ちょっと怪談めいたエピソードを、メモ代わりに残しておきます。もし万一この話に覚えのある方や、その他知っている怪談がある方がいたら、教えていただければ嬉しいです。

その他6編

 敷地内に、清掃時以外は人の出入りがほとんどない物置がいくつかあるという。そのうちの一棟は、かつて指導教官と学生が内部を点検するルートに入っていた。しかし今では内部点検を外され、外壁のみの点検となっている。
 十数年かそれ以上昔の話になるが、ある日、内部を点検する指導教官を先導するため、担当の学生がいつものようにその倉庫に立ち入った。その後ろから、指導教官が最終点検をして歩く。学生は規定のルート通りに、倉庫内の階段を駆け上がった。と、突如倉庫内に大声が響き、続いて学生が怪談を転がり落ちた。彼は気を失い、指導教官が応急処置の上、すぐに医務室に運ばれた。
 後日何があったかと聞かれた学生は「階段を登り踊り場を曲がったところ、すぐ目の前に教官が立っていて『点検順序が違う!』と怒鳴られた。目の前に人がいると思わず、驚いて階段を落ちてしまった」と答えた。無論そこには誰がいたはずもないが、その声は指導教官も聞いている。また落ち着きを取り戻した学生は、「点検官のつけるべき腕章をつけていなかった。服装ははっきりみえなかったが、知らない人だったと思う」とも言っていたという。
 人目もあり、不審者の立ち入りは考えにくい。そのほかにも不審な事故が続いていたその建物は、結局必要時以外は封鎖されることとなった。

 ベストな対応なぞない。常に油断すべからず、点検順序を誤るべからず、といったところである。

 現在では取り壊されているが、数年前まで存在していた古い建屋は、海軍兵学校時代から存在していたものだった。
 数十年前までは海上自衛隊の学生舎として利用されていたが、寝ていると見回りの足音だけが響く、二段ベッドをのぞき込む者がいる、深夜に緊急点呼を行うと人数が一人増えている、などの怪談に事欠かなかったらしい。

 かなり年配の海自OBの方数名から聞いた話。普通に怖い。深夜に点呼というのも別の意味で怖い。

 現在でも使用されている校内の某建屋で、トイレの鏡ごしに、背後に人影が見えることがあるという。本来点検官以外に動く影はないはずだが、あまり近づくと「見えて」しまうことがあるため、知っている者はできるだけ焦点を合わさず通り過ぎる。
 さらに不思議なのは、この話は学生が卒業すると「申し継ぎ」もされず立ち消えるはずなのだが、年次も半ばになると同じ体験をした者が出るらしく、同様の話が口頭で申し伝えられるようになるという。

 卒業後に「俺の年代でこんなことがあったんだ」と話すと、なぜか後輩が同じ話を知っているらしい。特に日没が早くなる秋頃から目撃話が増えるという。見間違いと言えなくもなさそうだが、普通に怖い。

 夜間、構内を行進する軍靴の音がすることがあるという。なお現在では、夜間の行進訓練は行われていない。
※構内を複数で移動する際は隊列を組むこととなっており、この足音が夜間の移動を余儀なくされた隊員のものなのかは不明。

 この話は海兵以外でもよく聞く。

 よく写真に写っている赤煉瓦の旧海軍兵学校の建屋。中央ホールに足音がする、見ても誰もいない……ということがままあるらしい。

「だから、足音だけで誰か来たという予断は持たず、入室を待って判断するんだ」と軽い調子で教えてくれた某知人は、自分が怪談を話している自覚があったのか謎。

 雨が降る日曜日の夜、校庭の向こうを、髪の長い女性が雨に濡れて歩いている。この人と目を合わせると部屋まで付いてきてしまうと言われている。

 もはや隊員ではない。女性隊員も髪が長い場合はまとめておかねばならないので、これは誰かが連れてきたと見るのが妥当か。