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バザーリア語録無理矢理活用変改

イタリアのバザーリアの言葉

「私たちが目にしたのは、(精神病院に)収容されている人々が、自分たちの置かれた悲惨な境遇に対策が講じられた瞬間から、立場や姿勢を一変させて、もはや<狂人>ではなく、私たちとも関係を築いていける人間へと生まれ変わった姿でした。」「患者とは、病んだ人間であるということだけではなく、人として当然の欲求を持った人間なのだ。」

これを奈良少年刑務所に置き換えると、

「私たちが目にしたのは、収容されている少年達が、自分たちの置かれた境遇に対策が講じられた瞬間から、立場や姿勢を一変させて、もはや<罪人>ではなく、私たちとも関係を築いていける人間へと生まれ変わった姿でした。」「受刑者とは、罪を償う人間であるということだけではなく、人として当然の欲求を持った人間なのだ。」

(以下無理矢理変換)

これを認知症の母に置き換えると、

「私が目にしたのは、認知症の母が、自分の置かれた環境に対策が講じられた瞬間から、立場や姿勢を一変させて、もはや<認知症>ではなく、私と関係を築いていける人間へと生まれ変わった姿でした。」「母は、認知症になった人間であるということだけではなく、人として当然の欲求を持った人間なのだ。」

これを病院に置き換えると、

「私たちが目にしたのは、入院している患者さん達が、自分たちの置かれた環境に対策が講じられた瞬間から、立場や姿勢を一変させて、もはや<病人>ではなく、共に関係を築いていける人間へと生まれ変わった姿。」「患者とは、病気になった人間であるということだけではなく、人として当然の欲求を持った人間なのだ。」

これを学校に置き換えると、

「私たちが目にしたのいは、教室の生徒達が、自分たちの置かれた環境に対策が講じられた瞬間から、立場や姿勢を一変させて、もはや<生徒>ではなく、共に関係を築いていける人間へと生まれ変わった姿。」「生徒とは、教わるだけの人間であるということだけではなく、人として当然の欲求を持った人間なのだ。」

これを会社に置き換えると、

「私たちが目にしたいのは、会社の中の社員達が、自分たちの置かれた環境に対策が講じられた瞬間から、立場や姿勢を一変させて、もはや<社員>ではなく、共に関係を築いていける人間へと生まれ変わった姿。」「社員とは、働くだけの人間であるということだけではなく、人として当然の欲求を持った人間なのだ。」

これを国に置き換えると、

「私たちが目にしたいのは、国民が、自分たちの置かれた環境に対策が講じられた瞬間から、立場や姿勢を一変させて、もはや<国民>ではなく、共に関係を築いていける人間へと生まれ変わった姿。」「国民とは、税を納める人間であるということだけではなく、人として当然の欲求を持った人間なのだ。」

「命とはつながりである」服部英二

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