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京のコシカケ「置きベン」

対話之町京都ヲ目指ス上京は京都市上京区の「京都御苑」の西側200mあたりに活動拠点があります。京都御苑の直ぐそばで展開していますベンチ置くだけプロジェクト「置きベン」を京都ブランドに!!

2024年3月13日『歴史探偵 誕生!「古都」京都』というNHKの番組が放送されました。

番組の中で、京都大学人文科学研究所 高木 博志教授 が、坂本龍馬の仲介で西郷隆盛・小松帯刀と桂小五郎が会談したとされる、慶応2年1866年の掌中雲上抜錦(しょうちゅううんじょうばっきん)という京都御苑の古地図を示されて、冝秋門(ぎしゅうもん)」(現在の烏丸中立売御門から入った駐車場の管理等の東側に当たる京都御所にある7つの門の内の一つ)の前に、カタカナで「コシカケ」というのが二台書かれている事を紹介されました。

そのころの京都御苑は石垣や堀はなく京都御苑の内と外は通りで繋がっており、境なく「ひらかれた場所」であったそうです。そして現在の京都御苑の広々とした場所には大小140もの公家屋敷が建っていたそうです。

そしてその公家達が京都御所の冝秋門から「京都御所」へ「参内」する様子を、門前にあった檜垣茶屋から観光客が見物したそうです。

古地図にはそこに「コシカケ」と明記されていました。

対話之町京都ヲ目指ス上京では、かつてあった「縁側」や「井戸端会議」などの地域での繋がりを取り戻す為の「装置」として、「置きベン」を想定しています。そこで、オープンダイアローグや、リフレクティング・プロセス、修復的対話(トーキングサークル)や、ユマニチュードの智慧にヒントを得た会話を通して、人とひとの無限の繋がり(事事無礙法界)を取り戻そうとするものです。

また高齢化社会になるにつれ、足腰の具合から500mが歩けない方が増えてくるので、コンビニまでの間、バス停までの間、病院までの間、またその間、間にベンチをおいて「歩き継ぎ」が出来る地域作りを目指してベンチを置く活動をしておられる団体・地域もあります。

更に居住地が「傾斜地」の場合は坂や階段がネックとなり、ベンチの設置は急務です。最終的には独居になり家から出られない、引きこもることに繋がるので、孤立化を避けるにはベンチ対策は待ったなしです。

そして今回、いにしえの京都には「観光客」の為に「コシカケ」が設置されていたということで、観光都市京都にあって「お客さまにとってのベンチ」も「ベンチ置くだけプロジェクト」の一つの意味の深みになりそうです。

その島のひとたちは、ひとの話をきかないp035/森川すいめい著/青土社2016刊

「電話を再発明」しiPhoneと名付けたスティーブ・ジョブズに倣えば、ベンチを再発明する「きっかけ」を「置きベン」は担えるかもしれません。

現在の京都御所「冝秋門(ぎしゅうもん)」

いにしえの京の都には、この場所に「コシカケ」が置かれ、公家の参内を観覧したそうな。この地より僅か約200m西側の仕丁町で「置きベン」は発祥しました。「コシカケ」は時空を越え「置きベン」へ、

「京のコシカケ・置きベン」と、
「京都ブランド」として言った者勝ち的にここに宣誓しておきます。


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