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アンミカの歴史(中編_5等上陸)

こんにちは、前回の続きです。

ぽんでらいおんという伝道師、元は関東の麻雀つよつよ漢でしたが、檻から飛び出し関西へ上陸。
その際に伝わったのが5等サンマでした。

彼の本拠地は奈良ということもあり、大阪でのセットにて5等サンマが打たれ始めたのです。

⑥元祖5等サンマ

春夏秋冬の華牌にそれぞれ効果がある完全着順制の東風サンマです。

さらに、アリアリかつ鳴き祝儀が付くもので、これは今までの関西サンマ(完先、面前祝儀)とは真逆のゲーム性で、ピン東に近しいガチャガチャ麻雀でした。

また5等サンマで初めてサイコロルールが適用されました。
この頃のサイコロは2度ぶりと言って、サイコロを2個振り、出た出目の合計分チップを貰える、かつゾロ目が出ればもう一度サイコロを振れる。というのを2回繰り返す。
というもので、6のゾロ目を出した時は脳からジュワッと汁が出るものでした。

神戸勢としては僕が初めて大阪で打ったのですが、各華牌に効果があるのが面白く、また、フィー3には無かったサイコロで脳を溶かせるという印象でした。

そして、僕を介して神戸勢にも5等が浸透し、彼らも同じくサイコロに脳を溶かされ、時代はフィーバーから5等にシフトしたのでした。

⑦フィーバー5等


きっかけは清水という漢です。

彼は僕の小学校からの友人で、麻雀覚えたての頃は彼の家に集まり徹夜でヨンマを打っていた。僕にとっての原初の4人のうちの1人です。

これまでも、たまーにですが彼から麻雀の誘いがあり、フィーバーサンマを打つことがありました。

そして、また彼からの麻雀の誘いがあり、5等上陸後だったことから彼と5等を打つことになりました。

セット開始直後、彼から一言
「このゲーム”あれ”ありやんな?」

あれとは「フィーバー」のことです。


神戸勢に5等を教えたときもその話は出ました。

しかし、3倍満フィーバーなど一度のフィーバーで地球が割れる恐れがあったため、フィーバーはタブーという扱いになっていました。

この時のセットメンツのもう1人は神戸勢のやたらノンケ だったのですが、彼は笑いながら期待と不安の表情を浮かべていました。

僕も同じく、”この3人なら新たな道を開けるかもしれない”。そんな期待を胸に宿していました。

そうしてフィーバーが導入され、その破壊力はしっかり漢たちのハートを掴んだのでした。

また、思ったよりゲームを壊す威力は無かったので以降フィーバーありのフィーバー5等が標準となったのでした。

⑧サイコロ出目当て

華8ア筋五でのサイコロルールは出目当てですが、これも当初の5等にはないルールでした。

これはサイコロを4回振って宣言した出目が出れば70枚オールというものです。

このルールは僕のパチ仲間、ポジポジ殿下のアイデアでした。

とあるセットで
サイコロのルール、宣言した出目が出たらその枚数分貰える。ってのはどうだ?」

この発言がこのルールの始まりです。

誰もが最大枚数65を宣言するので、65が出れば65枚というサイコロルールとして採用されました。


その後、元祖5等のサイコロ2度ぶりとの期待値を比べた結果、獲得枚数が70枚となり、
さらに腕がでる要素を加えるためにサイコロの出目を宣言して、その出目が出れば70枚という今のルールとなりました。

また、この頃は当初の2度振りと4度振りを選べました。


正の時は安全に枚数を取るのか、夢を追うのか。
逆の時は4度ぶりで0枚回避に挑戦するのか、大きなリスクは負わず多少の出費は仕方ないと2度ぶりするか。
そんな打ち手の性格を剥き出しにできる面白い環境でした。


ちょっと長くなってしまったので、今回の記事はここまでです。

次回は、華8ア筋五の真髄
アンミカルール筋肉ルール華八ルールの生い立ちを紹介します。

ではまた来週?👋

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