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アンミカの歴史(前編_大フィーバー時代)

こんにちは、をがわです。

ここ1ヶ月ほどで「アンミカ」というワードをTLでよく見かけますが、当バカゲームがここまで多くの人に認知される日が来るとは思ってもいなかったので、とても驚いています。

ルールを丁寧に執筆してくださり、今回のアンミカパンデミックの火付け役となってくださった、ぽんでらいおんさん、ゆずぴもんさんには感謝しかありません。本当にありがとうございます。

さて、今回のこの記事ですが、タイトルのとおりアンミカの歴史を書いていこうと思います。
実は当ゲーム、ポッと出で完成したゲームではなく2年以上の歴史を経て今に至ります。

誕生が神戸ということは知られていますが、
「誰が考えたの?」と聞かれることがよくあり、その度に「いろんな人の協力で出来上がった」と返答していました。
それは、その歴史があまりに長く、説明すると長くなってしまうからです。

ということで、
如何にしてこのゲームが進化し、華8ア筋五に至ったのかを知っていただきたい!
という思いから筆を進めています。


では、本題に入ります。

①フィーバーサンマ

このルールが華8ア筋五の起源。
フィーバーサンマです。

全赤の関西サンマで、7を暗刻で揃えるとフィーバーリーチが打てる。といった特殊牌が一つもないシンプルなものでした。

フィーバーリーチの爽快感は、他のどのルールでも味わうことができないほどの中毒性があり、皆その虜になっていたのです。
神戸では2年ほど前、このルールを毎日のように打ち込んでいました。誰かがグループで昼ごろ「とぅない」と言えば、数分後には卓が立っていたほどです。

②フィーバーサンマ(ポ逆ポ)

とあるセットの帰り道、セットメンツのやたらノンケが「逆ポも入れたら面白いんじゃないか!?」と言い出しました。
当時、世間では逆ポを入れることが主流だったこともあり、その発想に至るのは容易でした。
こうして、ポッチと逆ポッチが導入されました。

大きく変わった点としては2つ。
①パッツモポッチはサイコロを2つ振って大きい出目分のチップを貰える。
②フィーバー中の逆ポはその後の上がりが全て支払い。
というものでした。

やってみようの精神で入れたポッチでしたが、これの評判も良く、今まで強すぎたフィーバーリーチにナーフをかける形となり大成功となりました。
また、フィーバーされた時の最後の希望であり、同卓者が皆一丸となる、そんな魅せ場をたくさんくれたのでした。

③フィーバーサンマ改

フィーバーの理不尽さに愛想を尽かした漢がいました。名前は脳這う。彼はフィーバーが本当に嫌いだったようです。そこで一時期打ってたのがフィーバーサンマ改です。
これはフィーバー受け後、自分の手牌にある牌から一つを選んで、その牌での放銃は回避できるというものでした。
相手の手を読む麻雀っぽさがあり、フィーバーのナーフにもなる、よく出来たルールでした。
しかし、漢たちが求めているのは馬鹿な勝ち負けで一喜一憂することと、脳汁を垂らすことだけであり、そこまで浸透はしませんでした。

④フィーバーサンマGT

このルールがフィーバーサンマの最終形態でした。
5等が伝わるまではこのルールで走り切りました。

7p、7sの二種類しかなかったフィーバーだけでは満足できず、あろうことか7mを追加したのです。
当然7mでのフィーバーもできます。

また7mを入れたことで間8mでの上がりも採用していました。
間8mは出上がり8藩、ツモ役満でした。

8mを入れていないのに間8m?と思ったあなた、
2枚だけオールマイティ牌がありますよね。

ポッチと逆ポッチです。


間8mはポッチと逆ポでしか上がれません。
また、リーチ者が白を切っていてもポッチでは上がれる仕様でした。

フィーバーができるパターンが増えたことと、間8mの上がりは華があり、これも非常に評判が良かったです。

5等が上陸するまでの、半年ぐらいはこのルールで打っていました。

⑤5等上陸

ここまでがフィーバーサンマ時代です。

さて、ここで今の環境トップルールの起源、
5等サンマが関東からの伝道師ぽんでらいおんさんによって上陸します。

元祖5等サンマでの特殊牌は、華牌とポッチ一枚でした。

しかし、大フィーバー時代を生きていた我々には何かが物足りなかったのです。。。

後編へ続く

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