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子育ては「自分」育て

この言葉が好きだ。
でも、誰の言葉だったのかはっきりと覚えていない。
なんとなく、樹木希林さんがテレビのインタビューでおっしゃっていたような気がするが、ネットで検索しても出てこないので、きっと間違っているのでしょう。

「子育ては大変だ」そんな風に思い始めると、どんどんと負のスパイラルに巻き込まれてしまう。
正直、私も息子が小さい頃は、子育てに参っていた時期がある。
その頃私は自営業をしており、自宅で仕事をしていた。妻は小さなお店に勤務しており社員数が少ないため、なるべく早めに出社してもらいたいとのことで、産後7ヶ月くらいから週に何日が出勤するようになった。

私は自宅にいたので息子の面倒をみながら仕事もしていた。両親と同居しているので、両親も積極的に子育てを手伝ってくれていたし、今も子どもたちはおじいちゃん、おばあちゃんが大好きなのでよく遊んでくれていて、とても助かっている。

でも、息子が小さい頃は朝4時位から目覚めて活動を開始することがあり、それに合わせて私も起きるなど、生活のリズムがくるいがちになったり、「たそがれ泣き」という夕方に何でもないのに大声で泣きわめく怪現象を初めて体験し、こんなことを書くと恥ずかしいが耳栓をして抱っこをして過ごしていた。
最初は、たそがれ泣きなんていうもの自体があることも知らず、どこか病気だろうかと不安になったことを覚えている。

今思えば、早めに保育所に通園させてもらえばよかったのだが、私自身が保育所は2年保育だったので、あまり小さいころから保育所に通わせるのはかわいそうかなぁというよくわからない理由で申込みをしておらず、結局、2歳過ぎまで自宅で過ごしていた。
その頃は、言葉でのコミュニケーションもとりずらく、泣いている原因もよくわからないので、やはりストレスの方が多かったように思う。

しかし、”子育ては「自分」育て”という言葉を知ってから、なんとなく気分が楽になった。親が子どもを育ててあげているんだというのではなく、子育てを通じて自分が成長させてもらっているんだと思えれば、考え方が180度変わる。
何事もそうかもしれないが、気の持ちようで状況は変わってくるものだ。

息子には申し訳ないことをしたが、この経験から娘にはもう少しおおらかに接することができたと思う。娘のほうがおとなしかったということもあるが、息子、娘の両方が騒ぐなど、以前ならイラッとしたであろう場面になっても、それほどイラッとすることはなくなった。ただ、イラッとはしていなくても、悪いことは悪いと言わないといけないと思うので、ちょっと怒った風に言うことはある。

妻が以前こんなことを言っていた。あるときから私と息子の間にあった壁がなくなったという。それは、どちらかというと息子が私に遠慮がちに接している感じがしていたというのだ。
私は単に男同士だからそんなものだろうと思っていたのだが、そうではなく、確かに今のほうが昔よりもスキンシップを求めてくるし、色々と話しかけてくる気がする。

なんとなく私のストレス(子育てだけではなく仕事のストレスも)などを、子どもながらに感じ取っていたのだろうか。正直、今は子育てや仕事を含めストレスがあまりない生活を送っているし、平日の朝、夕方に子どもたちと過ごす時間も確保できているので、それがよい方向に向かっているのかもしれない。

息子も娘もまだ小さいと思っているのは親だけで、最近では本人たちがそれぞれの意見を主張することがよくある。前であれば、「おとうちゃんおかあちゃんとどこかに行きたい」などと良くいっていたが、最近は近所の子ども達と遊ぶほうが楽しいらしく、親がお出かけに誘ってもついて来てくれないこともある。
少し寂しいが、まぁ、成長しているということで喜ぶべきことだろう。

とはいっても、子育てはまだまだこれから。大変なことも出てくるだろうが、”子育ては「自分」育て”を忘れずに過ごしていこうと思う。

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