トイレの記憶①

幼少期


いままで色んな土地に住んで、色んな『自宅』でトイレを使った。
…のではあるのだが、記憶を辿るのはなかなか難しく、
とりわけ生れてからの時系列で書くことが一番しんどい。
なぜなら、物心がつく前の住処がはっきりしないからである。それでも、朧げな記憶としては昭和30年代後半(小学校低学年)から残っている。

 当時のまわりの大人が「二丁目」とよぶ、今の『東品川1-35』辺りに住んでいた。
まだ埋め立てられる前の目黒川添いの、コールタールを塗ったトタン屋根で出来た四軒の貧乏長屋である。
住んでいた家族は、東側の通りに面した井戸のある玄関口から、
沖野さん(今でいう管理人さん。ここにはなんと電話があった!)、
二番目は名前を思い出せない一家族、その次がウチ、最後が上條さん。
縁側(内廊下)を通ったそのどん詰まりに共同の汲み取り便所があった。
当時の長屋は、水道もガスも、縁側から下駄に履き替えたところの共同炊事場にしか無かった。
しかも、水道の蛇口は管理人さんのほうにあり、そこからホースでおのおの家族用の研ぎ出し流しに引っ張ってきていた。
冬の朝は、プロパンガスで沸かした大きな薬缶から、
それぞれの洗面器に湯を分けて、その湯を中和して顔を洗った。
家族のプライバシーを守る設備などはなく、内廊下に面した木戸を開ければ、そこはすべて共用の空間であった。

とにかく、夜中に便所に行くのが本当に怖かった記憶がある。
薄暗い10wの裸電球を頼りに、廊下の突き当りを右に折れたところの便所の木戸の閂を開ける。
ぎいっと音を立てる扉を引くと、便所の床には柄の入った青磁の金隠しがあり、
大きく空いたその真ん中の空間には、どこまで深いのか分からぬ漆黒の闇があった。
小学生の私は、夜中にその漆黒めがけてオシッコをするのである。
(ずる剥けていないため、あらぬ方向に飛び散ってしまうこともあったがw)
放出した尿の滝が、時間をおいて暗闇の彼方でジョボジョボっと反響音を立てるのが、不思議な感覚であった。
大きいほうをしたあとには、隅っこに平たく置いてある灰色でごわごわした「ちり紙」を折り畳んで素早く尻を拭く。
大仕事のあとの最後の任務は、缶に入った小林脳行の『ネオ片脳油』のキャップを外し、
漆黒の奈落の底に向かって振り掛けることである。
ネオ片脳油の効能は、便槽に蛆が涌くのを防ぐためでもあっただろうと思うが、
幼い自分にとっては、便槽自体から湧き上がってくる糞便臭を消してくれるスーパーな消臭液という認識であった。 
 『ネオ片脳油』のあの強烈な樟脳臭は、60年近く経った今でも鮮明な「よい匂い」の記憶として残っている。
加えて、たしか近所に小林脳行の工場もあったせいかも知れないが、
現在の小林製薬が新しい製品にどんな野暮(失礼w)な商品名を付けても、
親近感や、ほんわかとした好感を、私は持ってしまうのである。
ガスピタン、とか、ボーコレン、であっても、ね(笑)
最近、紅麴菌の件で糾弾されていて本当に気の毒だと感じているが、
自分がこれからも小林製薬を応援したいと思ってしまうのは、
あの幼い時期に暗闇で臭いを消してくれた『ネオ片脳油』の記憶があるからに違いあるまい。

がんばれ、小林製薬!!

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