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Planned Happenstans1

①東京スタイル正社員→
②某信販でアルバイト→
③クレディセゾン正社員→
④JCOM正社員→
⑤墨田区観光協会

今回は①と②について、学んだことや感じたことについて書いてみたい。

①東京スタイル
1986年は男女雇用機会均等法元年、そしてバブル真っ只中。
仕事は結構、選び放題だったのだろう。しかし、地方出身で一人暮らしの女性の就職はまだまだ厳しかった。
しかも、当初は広告出版や電通、博報堂などを狙っていたので、失敗続きで、滑り止めで受けた某百貨店と東京スタイルの2社から選ぶことになった。

洋服が好きだったので東京スタイルに決めたが、入社してみると体育会系の会社でほぼ毎日残業。土日も仕事は当たり前。そんなことは気にはならなかった。

会社も男女雇用機会均等法元年の初の女性総合職の営業で、男性社員にはないプログラムや経験をさせてくれた。商品企画やデザイン室の見学や説明、社長との会食など、大切に育てたいという気持ちがあった。

百貨店に行けば、取締役自らが店長に紹介してくれた。新入社員を店長に紹介するなんて普通はありえない。
そんな某百貨店の店長と30年を経て、一緒に仕事をすることになるなんて、その時は全く思ってもいなかった。

この会社は結局、1987年6月末、1年3ヶ月で退職することにした。理由は洋服は好きだが、似合わない人に洋服を媚び諂って売ることが好きじゃないとわかったから。

しかしこの会社で学んだことはいくつかある。

・社長との会食で、一人一本ずつ、小瓶のビールとグラスが置かれた。
その時に、社長は「君たちはホステスではないのだから、上司と飲んでも次ぐ必要はない。また、飲めるお酒の量はそれぞれ異なるのだから、無理して飲ませるのは良くない」
と言われたことだった。
確かにそうだ。それ以来、よほどのことがない限り、人にお酒を次ぐことはしない。クライアントや立場上、仕方がないときは別だが。自分もつがれるのは好きじゃない。

・友人知人の結婚式はいつでも祝えるが、お世話になった方の葬式は必ず行っても良い、というのが暗黙のルールだった。
お世話になった方の葬式は、最後のお別れになるからきちんとしてくるようにとのことだった。そのときは少し反発もあったが、恩義や礼儀というか、親しい方やお世話になった方に感謝の気持ちも含めて、ちゃんとお礼をした方が気持ちの整理ができる感じがする。

②某信販でのアルバイト
東京スタイルをやめてすぐの1987年9月に結婚をした。15歳も離れていたバツイチの男性だったが、なぜか両親は許してくれた。
それでなんとなくハワイで結婚式を挙げた。

何をしたいのか見つからず、しばらく学生時代の時にアルバイトをしていた某信販会社でアルバイトをすることに。

その間の1年で、自動車運転免許の取得、着付け教室、情報システムエンジニア2級(明確な名称は忘れた)を取得した。

当時、アルバイトで、一太郎やロータス123を少しだけ扱うことがあり、パソコンって何かよくわからず、とりあえず新しものの好きな私は、専門学校に通ってみることにしてみただけだったが。

それらがその後のしごとなどで活かされるなんてそのときは思ってもみなかったが。

そしてアルバイトを始めて1年。どんなに頑張っても評価もされないことにつまらなくなって、正社員の仕事を探そうと決めた。

たまたま仕事の関係で目にしていたセゾンカウンターが気になっていたことや社員募集もしていたので応募してみたら、受かった。バブルって凄い!

結婚してても関係ないってもうすごいなと、思った。

そしてクレディセゾンに就職することを決めた。

では、今日はここまで。

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