もしもの世界、と、ひとりごと

ヨシタケシンスケの「もしもの世界」は夫がいつだったかに息子にプレゼントした本だったが、数年たって、いま3年生になった息子が、気に入ってよく読むようになった。

大切なおもちゃをなくしたとき。
好きな人が亡くなってしまったとき。
壮大なアイデアが、実現しなかったとき。
いくつかの選ばれなかった選択肢。

そんな事柄は、「もしもの世界」に行っている。
達成されなかったことや無くしたものが大きいとき、リアルな世界が縮まって、もしもの世界が大きく膨らむ。
もしもの世界が大きくなるのは悪いことじゃない。
でも、リアルな世界も少しずつ大きくして、
バランスよく行ったり来たり、転がして、世界と向き合おうー
というのがこの絵本の主題だ。

概念的なのでこどもには難しいかもしれないなと思い、久しぶりにこの本を開いて、寝る前に読み聞かせしたとき、
「何言っているかわかる?」と息子に聞いた。

「わかるよ。」

と息子は言った。

少し黙って、考えてから、息子は言った。

「ぼくさあ、もしもの世界がめっちゃ大きすぎる。」

「そうかあ。」とわたしは言った。

さらに息子は考えて言った。

「でもさあ。谷川俊太郎とか。宮崎駿とか。ああいう人たちも、もしもの世界がめちゃくちゃ大きかったんだろうね?」

(息子は、谷川さんの詩集をこの頃気に入って読んでいた。スゲーかっけーと言っていた。)

「ああ、そうだね。もしもの世界が大きすぎるから、詩を書かずにいられなかったのが谷川さんなのかもねえ」
とわたしは言った。

…そうかあ、息子くんは、もしもの世界が大きいんだ。
もしも、ぼくが大人だったら。
もしも、リソースが無限にあったら。
そんなもしもで、君の頭の中は噴火まえの火山みたく轟轟とうなっているから、だからすごく疲れるのだね。

わたしは、君のリアルな世界を少しずつ広げて、もしもの世界を表現できるように応援したいよ。

ううむ。応援するとは、見守るとは、難しい。




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