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クロークワーク【MSS】

時計台の鐘が鳴り、僕たちは所定のカウンターに待機した。
外のロータリーに鉛色のバスが何台も到着し、一斉に乗客が降りてくる。今日も時間通り、忙しくなる。ホールはあっという間に人でごった返し、もはや列があるのかもわからない。

「お預かりするものはなんでしょうか?」
「この時計を預けたい」
いかにも裕福そうな身なりの老人だ。それは金の時計だった。
「かしこまりました」
老人は渡す直前まで、何かを思い出すようにその時計をじっと眺めていた。
預かり証に名前を記入してもらい、番号札と引き換えに、時計を預かる。

「お預かりするものはなんでしょうか?」
「この子を預けたいの」
若い母親と幼い男の子だ。男の子はゲームに夢中のようだ。
「かしこまりました」
この子にはここで働いてもらう。母親は最後に男の子をぎゅっと抱きしめた。
預かり証に僕の受領サインを書き、番号札と引き換えに、男の子を預かる。

「お預かりするものはなんでしょうか?」
「この死体を預かってもらいたい」
澄んだ目をした色白の青年は、トランクを指さした。中身を確認すると、女性のバラバラ死体が入っている。
「かしこまりました」
彼は番号札をもらうと、肩の荷が下りたように口元に笑みを浮かべ、口笛を吹きながら立ち去った。

ここは、クロークタウン。
この先にある世界最大の工場街へ続く一本道の最後の中継点。
世界最大のクロークだ。出稼ぎのワーカーたちの大切なものや不要なものを預かる場所。工場街へは最低限の荷物しか持ち込めない。そういう決まりになっていた。
ここで預かれないものはない。預かり証に本人の署名とスタッフの受領サインが揃えば、番号札が手渡される。番号札を返却することで、いつでも預けたものは取り出せる。とてもシンプルだ。

僕はここのスタッフ。スタッフは長年働いているベテランから短期スタッフまで大勢いて、みんなこの街で暮らしていた。
工場街へのバスは毎日、運行していて、年末のこの時期は、バスの臨時便が出るほどワーカーが増えるため、僕たちの仕事は大忙しだ。

添乗員の点呼が終わり、バスが工場街へ向けて出発すると、ホールは再び、静けさを取り戻した。
「あれ? アカリ、見ませんでしたか?」
「さっきまでいたぞ。休んでくるって言ってたけど」
同僚の言葉に内心、驚いた。
「僕も休憩、入ります」
スタッフルームで弁当をとって、僕は広大なクローク内を移動すべく、カートに乗り込んだ。
ありとあらゆる衣服を預かるウォークインクローゼットを抜け、大量の手紙を保管するレター図書館を横目に、この街の中枢である時計台の心臓部にやってきた。剥き出しの歯車が休みなく回転している。アカリのカートがある。やっぱり、あそこか。エレベーターに乗り込み、時計台の最上階のボタンを押した。

アカリはここで働く僕と同い年の女の子。
飾らない明るい性格や丁寧な対応が乗客からも評判だが、仕事が落ち着くといつの間にかいなくなってしまう。仕事中は分け隔てなく楽しく話しているが、どこかみんなと距離を置いている。僕はそんなアカリのことが気になっていた。大体、時計台の屋上にいて、僕らは同い年ということもあって、よく二人でくだらない話をしていた。今日だって、いつものことだろうとも思った。けど、何かが引っ掛かった。きちんと誰かに告げてから休憩に入ったからだ。いつも、アカリは何も言わずに休んでいたから。

最上階へ着いた。アカリは煉瓦造りの屋上の縁に座って、足を振り子のようにぶらんぶらんとさせていた。
「お疲れ」
彼女の隣に、少し離れて座った。
遥か彼方に工場街から吐き出される灰色の煙が見える。あとは見渡す限りの荒野だった。
「気分でもすぐれない?」
彼女は黙って首を振った。
「毎日、忙しいもんな。そりゃあ、疲れるよ」
弁当をつつきながら、僕は遠くの山脈に沈もうとしている夕日を眺めていた。
「また、寒そうな格好してる」
彼女は呆れたようにつぶやいた。確かに外は日も落ちてきて、だいぶ寒くなってきていた。僕はいつも仕事着のまま来てしまう。彼女はスタッフに支給される冬用のコートを着ていた。
「仕方あるまい」
彼女は僕の隣に体をぴたっとくっつけると、大きめのコートの半分を肩にかけてくれた。
彼女の体温に包まれたような暖かさ。それに、今、ひとつのコートの中に僕とアカリがいる。頭が真っ白になっている隙に、見事に卵焼きをつまみ食いされた。
「うみゃい」
「うみゃいって」
僕らは大笑いした。いつも通りの彼女のようで安心した。

「私ね、今日でここを辞めるの」

訂正。

「どうして……」
唐突な彼女の告白に、驚きを隠せなかった。
「迎えがくるの」
「迎え? そうか! 工場街へいくんだね。夜の便だ。ここのスタッフでも工場街へと働きにでる人がいる。別に今日じゃなくたっていいじゃないか。もう少し、暖かくなってからでも。だから、もう少しここにいなよ。僕も一緒に行くよ」
「本気で言ってる?」
彼女の語気が強くなった気がした。
「ほ、本気さ。だって、あれだけのワーカーに仕事があるんだ。きっと、巨大な街なんだ。ここよりも何だってあるはずさ。僕たちも仕事をして、休日には遊んで、一緒に暮らすのも悪くないかなって」
「それって、プロポーズ?」
彼女のまっすぐな視線に何も返せなかった。
「そしたら、ここに何を預けていくの?」
その言葉に自分の部屋にあるものを思い浮かべてみた。何も預けるものなんてなかった。
「預けるものないや」
「そう。君は預ける必要はない」
「どういうこと?」
「預ける必要はないし、工場街へいく必要もない。そこは君の行く場所じゃない」
彼女の真意が僕にはわからない。
「私はもう預けているの」
「えっ?」
彼女は立ち上がり、屋上の縁をバランスを取りながら歩き始めた。
「それももうすぐ返されるの」
「もうすぐって」
「今日」
「何を……預けたの?」

「死」

一瞬だけど、時間が止まったような錯覚を覚えた。その言葉の意味がすぐにはわからなかったけど、とても嫌な響きだった。
「私は死を預けたの」
彼女は番号札を僕に見せた。
「私はここに鉛色のバスに乗ってやってきたの。乗っている間、ずっと震えが止まらなかった。おそらく、理解していたんだと思う。君はここで働いていた。嬉しかった。生きていてよかったって。もう少しだけ一緒にいたいと思った。まだ、死にたくない、って願った。そしたらね、強く風が吹いて、新しい預かり証が飛んできたの。私が名前を記入すると、その預かり証は風に飛ばされて、番号札がどこからか飛んできた。きっとあの風が私の死を預かってくれたの。そして、私は何食わぬ顔でここで働きだしたってわけ。ズルしちゃった。でも、もうすぐ迎えがくる」
遠くで風の気配がした。
「ほんの少し、でも私にとってはとても長い時間だった」
彼女は僕に向かって、何かを投げた。
それをキャッチした瞬間……僕は思い出した。
コートを投げ捨てて立ち上がり、彼女のもとへと走った。すべてがスローモーションだった。夕日が彼女の横顔を照らしている。僕は手を伸ばした。彼女の唇がゆっくりと動く。

「ありがとう」

彼女に触れる瞬間。強く吹いた風が彼女の輪郭を砂粒のように脆くし、奪い去っていった。僕の体はさっきまで彼女だった粒子をすり抜ける。頬に水滴のようなものが触れ、向こう側に派手に転んだ。
そうだった。
僕は彼女が死を預けたことを彼女の口から聞いた。僕は受け止められなかった。いつか彼女に死が返ってくることから目を背けた。預かり証をでっち上げて、彼女との記憶を預けて。彼女が僕の番号札を預かってくれていたんだ。結局、僕もズルしていたんだ。馬鹿だなぁ、本当。大馬鹿だよ。

目を覚ますと、病院のベッドの上だった。
僕はすべてを理解した。生き残ったのだと。
両親の話では、僕は数日間、眠り続けていたらしい。あの街での暮らしはとても長かったはずなのに……。そして、ずっと、コインロッカーの鍵を握りしめていたらしい。

そうだ、あの日は僕の誕生日だった。
いつものバス停で、いつもの時間のバスを、いつもみたく待っていた。
「おはよう。あれ? さっき会ったっけ。まぁ、いいや。また、寒そうな格好して」
いつもみたくアカリと他愛もない話をしていた。あの日は、いつも遅れるバスが時間ぴったりにきたんだった。
「珍しいねぇ」
この時に運命の歯車がずれたんだな。
バスはいつも通り混んでいた。いつも見る乗客たち。いつも通りの朝のはずだった。
「はい、これ」
どんなタイミングだったかは忘れたけれど、彼女に渡されたんだった。
「何、これ」
「駅前のコインロッカーの鍵。帰りに開けてみて」
「何だろう」
「開けた瞬間、どかん!」
「脅かすなよ」
制服のポケットにしまい、ぎゅっと握った。そこで大きな衝撃がして、真っ暗になったんだ。

大通りの交差点には花が置かれていた。何人かの人が亡くなった。彼女はそこに含まれていて、僕は含まれなかった。手を合わせてから、松葉杖をついて、駅前へと歩いた。
コインロッカーには鍵がかかったままだった。鍵を差し込み、扉を開ける。何もなかった。
彼女の冗談だったのか? それとも回収されてしまったのか? だとしたら、なぜ鍵がかかっていたんだろう?
しばらく考えていると、コインロッカーの奥の壁が開いた。朝の冷たい空気と慌ただしい朝の風景が僕の目に飛び込んできた。アカリが目の前にいた。手を伸ばせば触れられそうな距離に。一瞬、目が合った気がした。彼女は紙袋をコインロッカーに入れると、扉をしめた。あの日の朝の彼女だ。
「いくな!」
大声で叫び、コインロッカーの奥の壁を叩いたがびくともしなかった。
紙袋を取り出し、中身を見ると、暖かそうなマフラーが入っていた。紙袋ごと抱きしめると、しばらくその場から動くことができなかった。すごく短い時間だったかもしれないし、とてつもなく長い時間だったかもしれない。
立ち上がった頃、風は冷たくなっていた。僕はマフラーを巻いて、彼女のいない街を踏みしめるように歩き出していた。



(了)

ショートショート×音楽。

音楽の音や言葉から物語を紡ぐMSS(ミュージックショートショート)。

今回のMSSは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『クロックワーク』から想像を広げて書いたお話です(最新アルバム『ホームタウン』より)

Weezerのリヴァースが作曲したこの曲。サビのメロディーが、もう泣きのWeezer節で、初めて聞いたとき、思わず拳を突き上げました!!
この曲のギターソロを聞いたときに、この物語のワンシーンが浮かび、このMSSを書こうと思いました。

また、この物語は、19人の著者が参加した無料の電子書籍ベリショーズvol.2にも収録されているお話です。

僕は『クロークワーク』の他に、特集テーマの「におい」で、『におう立ち』という400字ショートショートを書かせていただきました!
バラエティ豊かな作品集。
気になられた方はぜひ↓

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