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およそ365日のひそやかな戦争

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三十五日目、電話がなった。君からだ。 りん、と澄んだ音を立てて空気が震える。水が毀れる時のような繊細な音はたった一度だけ鳴り、そして静かになる。その音が、君が私に生きていることを… もっと読む
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トビングスカイ - 6

「さかなぁ! なんか海が見えると元気になるよ!」 「あいつ、なんかますます馬鹿になってない?」  めずらしくハルが呆れているので、アツは同意した。  発見後は病院へ運ばれたソウだったが、翌日には退院して元気に登校した。救助艇の研究所からは謝罪があり、水青端高校のプールの底の処置については後日適切な処置を行うということで事件はあっという間に収束してしまったが、彼らの日常はまだ戻ってきていない。 「飛び込めそう?」 「んー、たぶん大丈夫じゃないかなあ。飲み込まれそうになったと

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トビングスカイ - 5

「なんでなんともなかったのにアツが死んでるの? ねー、邪魔ぁ!」 「ほっとしたんでしょ。それより宿題は終わったの? ドラマ見たら寝なさいよ」  腹がぐるぐるする、と目をつむったままアツは思った。壁を隔ててハルが明るい声で誰かと話しているのが聞こえる。多分部員の誰かと電話で話しているのだろう、声はすっきりと晴れわたり、時々笑い声もする。ソウが無事だとわかった途端すっかり元気になってしまったのだ。  アツも安堵を誰かと分かち合いたかったような気がするのだが、腹がぐるぐると唸ってト

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トビングスカイ  - 4

 二人は退屈していた。妹の出産のために母親が入院していたからだ。しかも今日は昼の早い時間から病室を追い出されてしまったので二人は解せなかった。母親はどこかに運ばれ、どうやら妹を出産しているらしい。しかし二人は妹との面会が楽しみだというよりは単に退屈していただけだった。  浜で見つけた木の枝を振り回してハルは雄叫びをあげている。どういわけかアツを敵と認定して殴りかかってくるのが我慢ならない。しかもそんなアツとハルをよそに、父親は桟橋の一番端に膝をついて、海中に手をつっこんでおり

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トビングスカイ - 3

 ハルは勉強こそできないがバカではない、と思う。インタビューの受け答えはそつがないし、時々当意即妙なことをいったりもする。そもそもいくら運動神経が生まれつき良くても、国際大会で記録を残すにはそれだけでは足りないはずだ。競技のこととなれば勤勉で努力家で、よく勉強するハルのことをアツはよく知っている。 「えっとぉ、いや、やりかたはわかるよ、バカにすんなって。これで割ればいいんだろ。割り算はぁ、筆算ですればいいんだよ」 「そんくらい知ってるもん」 「じゃぁやれよ」  あらかた台

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トビングスカイ - 2

 説教どころではないのだった。  喚いていたハルも興奮が過ぎ去ったあとは椅子に深く腰を掛け、頭を抱えている。そのとなりにちんまりと座るナカジは目も鼻も真っ赤にして静かに泣いているらしかった。他の部員たちも青くなったり赤くなったり喚いたりガタガタ震えていたりしており、それを茶化すものは誰もいない。茶化せるわけはないのだった。  魚である。  それも巨大魚がチームメイトを食らったのである。逆ならきわめて平和なニュースだ。しかし現実は現実である。しかもソウをのみこんだ巨大魚はい

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トビングスカイ  - 1

 ひときわ大きな歓声があがったのでアツはますます不機嫌になった。  おもしろくない。  なぜなら歓声を浴びているのは自分ではないからである。 「どっから湧いてきたんだ、あいつら……」 「だってハルが大会近いってみんなに」 「知ってるよ」  思わず声を荒げ、アツは隣のナカジを睨んだ。  いま、飛び込み台の上で気持ちよさそうに歓声を浴びているのはアツの双子の弟、ハルである。国際強化選手に選出され、国際大会でも実績を積んでいるハルは水泳部の中の傑出した飛び込み選手、どころか日本高飛

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