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機能不全家族の中で育ち、寛解するまでの10のステップ

「機能不全家族とは、「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す。そしてこの機能不全家族で指摘される問題は、家庭内での不健全な事象よりも、その機能不全家族の中で育った子供への悪影響を問題として指摘する場合が多い。つまり、機能不全家族内で育った子供は、機能不全な環境や考え方が当たり前であるかの様に認識して成長するケースが多く、また幼少期の重要な人格形成において愛情を得る機会が非常に乏しい事などにより、自己愛・自尊心、他者への共感、他者の苦しみに対する理解等に欠けた人間にもなりやすい。こうして、機能不全家族の中から「社会と健全な関係を築くことができない大人が輩出されてしまう」という結果が生じることになる。しかし、機能不全家族に生まれ育った者が全て必ず社会不適応な人間になるとは限らない。」(Wikipediaより


 機能不全家族の中で育つと認知が歪む、といわれています。これは事実であり、当人も早い段階で——少なくとも十代のうちには「自分の家は人の家とはなにか違う」という発見をするものです。そしてそれからが、機能不全家族育ちの苦しみの始まりでもあります。

 機能不全家族という言葉が日本に持ち込まれたのは1990年代中頃。でも、残念ながらこの言葉はいまもまだ市民権を得られていません。それどころか、自分の欠点を見つめず何もかもを親のせいにするための都合のよいレトリックだと感じる人もいるようです。

 でも、違うんです。
 いいわけではないのです。
 機能不全家族育ちが生きていくためには、家族の歪みを直視せねばならないのです。認知の歪みをただすために、直視せねばならないことがあるのです。

 機能不全家族育ちの子供は簡単に言ってしまえば「烏は白い」と教えこまれています。その子供は黒を白だと思っています。あるいは烏を白鳥か、鷺か、もしくは白熊だと思わされています。本人はうすうすと感づいていますが、声を揃えて「烏は白い」と言わなければその子供はいきていけません。それが機能不全家族にそだつということです。

 つい十年ほど前まで「なんだかうちの親はおかしい」と認めること、あるいは誰かに相談することはかなり勇気が必要でした。そんな中で「やっぱりおかしいんだ、そうだって認めてもいいんだ」と私が知ったのは、ネットの名もない文章でした。ぽつぽつと誰かが、自分のためにあるいは共闘する誰かのために書いた文章があり、それに私は幾分か救われ、あるときは勇気づけられ、そして寛解に至ることができたと思っています。
 あれがなければ未だ自由は得られていなかったかもしれない。もしかしたら死んでいたかもしれない。否定され続ければ、人は死にます。自尊心を失えば、人は死にます。


1. 幼少期は母親の言動を受容し、その期待に応えようとする

 虐待児に関しては普通によく知られている話ですが、学童期までは子供は自分の親に従順で疑うことはあまりありません。


2. 幼児・学童期に自分の親ないし家庭が異常であることに気づく


3. 気づいた時点では異常ということを認められないため、
「親ないし自分の家庭は至極ふつうだ」と思い込もうとする

 抑圧されたタイプ(被虐待児は特に顕著ですが)は親が世界の絶対だと思い込んでいるので、多少周囲と違っていることはもちろん認識していて、ちょっとしょうがない親だなとおもいつつ信頼しようと努力するものです。


4. やがてその思い込みも限界が来るが、「親も人間なんだ、間違っても仕方がない、たぶんこれも親なりの愛なんだ⇒結果として自分はちょっと変わってるけど異常ではない」と思いこもうとする

 平和な家庭で育った同級生などが親の文句や喧嘩をしている話などをすると、「もう少しおとなになったら?お母さんも疲れてたんじゃない?」などと言ってしまうタイプが機能不全家族育ちです。抑圧する親に育てられた子は、親の親代わりを幼少の頃から課せられているため、どちらかと言うと親側の発想をします。
 また、機能不全家族の中では親との衝突は決別時以外はありえないため、例え些細な嘘をついたとしても極力争いは避ける傾向があります。非常に隠しごとが多く、隠しごとがバレた場合は完全にご破産になることが多いでしょう。特に恋愛事ではこの傾向が顕著です。

5. しかしそのうち現実と思い込みの乖離が無視できなくなり、悩んだり精神的に病んだり自分を無理やり抑圧する。もとより自己肯定感が弱いためとにかく自分が間違っていることにして辻褄をつける

 自分の育った環境を否定するというのは結構難しいし、体力を使うことなんですね。一番簡単なのは「普通の環境で育ったにもかかわらず自分はおかしい人間に育った」と自分自身を貶めること。これが自己肯定感の低下の原因です。
 人と違うとか、うまくいかないことで自己肯定感が低下することももちろんありますが、自分原因のものであれば比較的容易に回復可能です。方法を変えればうまくいくからです。また環境をかえたり、そもそも諦めてしまったりすることで回復することもあります。
 機能不全家族の中では多くの場合親が子を全否定または全肯定しており、しかも一般的な社会常識とかけはなれた尺度で物事が処理されているため、回復できず結果的に自己肯定感が縮退していくのです。


6. 何らかのきっかけで不満が爆発し、親ないし家庭の問題を直視するようになる。自分ではなく育った家庭に問題があることが認められるようになる。憎しみが始まるとすればこの辺りから

7. 「育ててもらったのだから親に感謝すべき」という善良な人々の言葉に傷つき、自分がおかしいのではとますます自己肯定感が弱くなる

 「親も人間なんだから」「許してあげたら」などという言葉もよく投げかけられるものですが、許す必要はありません。
 ただ事実を事実としと認め、許せないなら許さない、腹が立つなら腹をたてる、近寄りたくないなら近寄らないを徹底するのが自己肯定感を取り戻すための最初の一歩です。憎みたくなかったら別に憎まなくてもいいですが、憎みたかったら憎んでもいいんです。
 また離れるべきは母親だけではありません。父親もです。憎むのは母親だけではありません。そんなあなたと母親を放置した父親もです。父親にも問題があるのです。家族全員に問題が生じているのが機能不全家族です。

 「親から離れてみたら?」という助言を受けることもあるでしょう。
 これは良い方法です。
 機能不全家族から離れることで、親が一人の間違った人間で、自分に害をなす存在であることがわかります。そう認めても、なんら問題はありません。


8. 問題を直視した結果、親を憎むようになる

なお、親を憎むほどひどい抑圧を受けた場合はけっこう早いうちに限界が来て親から離れ、その後寛解することが多いですが、耐えられない程ではなかった人ほど気づくのが遅れ、三十を過ぎてからもしくは子供が生まれてから苦しんだりもします。全然気づかずに子に連鎖する人もいます。いわゆる虐待の連鎖です。

 若い内は若さで乗り切れる辛さも、歳をとってからでは体力が続かない場合があります。また下の世代に負の遺産が引き継がれるのも避けたいものです。
 これを防ぐには早い段階で「うちの親はおかしい、自分は間違ってない、親から離れるべきだ」と気づくのが大事です。「親も人間だから」「それでも愛してくれてはいるはず」とか言ってたら手遅れになります。とっとと親離れして、また親に子離れをさせて、正常な人間関係を取り戻さなければなりません。

 あなたの親をあなたが育てる必要はありません。あなたが親を一人の人間として解放してあげる必要はありません。あなたの親は大人なのですから、自分自身で生きれるはずです。手を離して世話をやめても死んだりしません。機能不全家族を保つために「死ぬ」と暴れる人がかならずいると思いますが、心配はいりません。

 自死は個人の権利であり、また個人の責任でもあります。成人はその権利と責任を負うことができます。あなたが気に病む必要はありません。

9. 様々な問題が解決した結果、親に再び理解を示せるようになる

10. 親を許したように振る舞うことが可能になる


 「許しなさい」と言うひとは必ずあらわれます。機能不全家族の中で育つと、世間の言葉は絶対に正しい気がしてしまいます。そうしろと言われれば、本心でなくても従ってしまいます。
 でも、誰かに言われたからその通り許すのでは、自分の人生を生きていることにはなりません。人の意見を聞くのは大事なことです。しかしだからといって、言われるがままに実行するのでは、なにも問題が解決されていない。従う対象が親から他人に変わっただけです。

 聞いた上で許せないのなら許さなくていい。どんな些細なことでも、自分にとって大事なことなら許さなくたっていい。それが自由です。自由は苦しいし、辛いし、悩むことがたくさんあります。間違うことだってたくさんあります。でも、人の顔色をうかがって、自分が間違っていないか常に疑いながら生きる苦しみよりはずっとよいです。

 自由になってください。


※本コンテンツははてな匿名ダイアリーに掲載したものを加筆・修正しました。


機能不全家族にまつわる小説を書きました。

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