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それは音楽なのか?

世界初のラップのレコードといわれるRapper’s Delightが、バンド演奏という「不純物」を含みながらも初めて発売されたのは、1979年だ。でも、ヒップホップや音楽のファンなら、それより遥か前にクールハークやバンバータのような人物を辿り、70年代前半からヒップホップやラップが存在していたことは知っているだろう。
ラップが、あんなの音楽じゃない、喋ってるだけ、ビートも借り物、とバカにしていたのは、コミュニティの外側の人々だ。僕もマンハッタン島で何不自由なく暮らしていたなら、川向こうのブロンクスを指差して同じことを言っていたかもしれない。


ヒップホップが誕生してから何年も経ち、Rapper’s Delightが全米でチャートインすることで初めて、世の中に知られる切っ掛けになった。日本でいうと、僕の高校時代、毎日ラジオを聴きながら仕事をしていた一般市民代表の母が「これよくない?これよくなくなくなくなくなく…」と口ずさみ始めたあの状態だろう。
これは、アンダーグラウンドカルチャーの内と外の境界の話だ。
境界はいつだって人生を刺激するし、境界があるからこそ越境という言葉が発生する。

前置きが長くなってしまった。

さて、しばしば人生の助けを音楽に求める人がするように、僕も夢遊病のように音楽を求めて彷徨った挙句、少しだけ後悔しているのは、最近やたらと耳が遠くなったことだ。
レゲエのパーティでうず高く積み上がったハンドメイドのサウンドシステムにしがみついて、爆音を浴びていた頃、生まれつき少し耳の悪い弟の「体、壊すよ…?」という助言を少しでも聞いておけば良かった。それでもやめられない。
収められない欲求が最近行き着いた先は、オートバイのエンジンでリズムとメロディを奏でる「コール」の世界だった。
いつからだろうか、mp3、そしてクラウドから転送されるデータがイヤホンの小さな磁石を振動させるのが音楽だと思い込み始めたのは。いや、それも音楽には違いないんだけど、そんなことをふと思ってしまうような体験に久々に出会ってしまった。
10年くらい前、当時世界で最も音のデカいバンドと噂されていたSUNN O)))というバンドの来日公演に弟や友人達と出かけ、ステージの背面に敷き詰められたマーシャルのアンプが全部鳴っていたか定かでないが、空気の振動でネジが緩んで、天井から直撃したら死にそうな照明が落ちてこないか不安になるくらいの音を浴びた。


その時以来かもしれない。久々に、やばい、これは耳栓が要る、けどずっと聞いていたい、と感じたのは。
去年の今頃、暴走族のオートバイ、いわゆる、族車をテーマにしたプロジェクトを始めた頃、お世話になっていた族車のメディアの方から誘われて、宮城県の人里離れた山奥のサーキットを訪れ、全国から集結した、族車・旧車會のヘッズ達の祭典に参戦した。
族車が愛おしくてプロジェクトを始めたくらいなので「コール」の存在は知っていたが、聞きしに勝る音圧だった。イベントの中で行われる目玉、「コール大会」という言葉だけ聞くと、「のど自慢大会」のように長閑に響くかもしれない。しかし、整理されたジャンル、体系化された評価基準、もはやエクストリームスポーツの大会のような成熟を感じずにはいられなかった。レッドブルが大会を催しても驚かない。

こんな感じで、大注目を浴びながら「演奏」する。この時ばかりは、演者のオートバイ以外の全ての単車のエンジンがオフにされ、全員が固唾を飲んで見守っている。彼らはちょうど、去り際にヒゲダンスを披露、志村けんさんが先日亡くなった直後、今見ると、コールにまで影響を及ぼした彼の偉業は悲哀に満ちたエンジンの調べだ。

山奥の祭典から何ヶ月か経ち、作品制作の資料を得るために、アーティストの福原志保と撮りに行った映像がこちら。手ブレはご愛嬌だけど、スタビライザーなしで逆によくここまでやれたと思う。

コール大会を、フリースタイルラッパーのR指定が三連覇したUMBに例えるなら、この映像は歩道橋で行われる梅田サイファーのようなカジュアルな風景だ。
それでも、この映像の中に、コールの3大ジャンル、「四発」「2スト」「吸い込み」のほか、ミッキーマウスのテーマ、Xの紅のような往年のメロディコールも収録できたので、資料としては有意義なものになった。別の機会にド素人が得た知識としてこのラフなミックステープのセットリストのようなを説明したい。

族車の作品がようやく形になってきた昨年2019年の秋、このオートバイでコールを奏でるところまでいって初めて完成だろうな、と僕らは思い始めていた。
しかしながら、展示をさせていただいた、AnyTokyoの会場、KUDAN HOUSEのような場所で、爆音を出すことは出来ない。
音量だけでなく、エンジンをかけるなら、ガソリンの入ったタンクの持ち込みを申請しなければいけないし、予想以上に立ち込める排気にも配慮しなければならない。
僕達の作品だけでなく、族車のコール文化そのものが「音楽」としてステージに上がりにくいハードルがこれだった。
コールは2020年現在、Rapper’s Delight以前のヒップホップのようなものだ。アンダーグラウンドのコミュニティにしか実態を知られていない。
そんな最中、お誘いをいただき、僕らの作品と共に、もはや盟友とも呼べる面々と共に、或るステージに呼んでいただいた。
作品と共に、音楽としてのコール演奏を紹介できる喜びは大きい。
そこへやってきた招かざる客がコロナウィルスである。
世情と突き合わせながら悩みに悩んで出演を辞退させていただき、イベント自体も一旦キャンセルとなってしまった。関係者全員が苦渋の決断をしたと思う。
未曾有の困難を抜けて、もう一度、コールの演奏を広く紹介できる日を待ちながら、悶々と心にわだかまっていたことを書こうとして、時間がかかり、こうなってしまった。
次回以降、改めて音楽ファンにこそ聞いて欲しいコールの楽しみ方を手引きしていこうと思う。

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