見出し画像

夫婦で財布は共有してないけど、ビジョンは共有してる

妻が10年以上も勤めた会社を先日やめた。

そして、学生になった。

子育てしながら学ぶ道を選んだ。

この決断に至るまで、夫婦でそれなりに話し合いをした。

心配なことはもちろん色々あるが、それと同じぐらい、もしくはそれ以上に前向きなことがあるから選択した。

いつも話していること

昔から、妻とは、今何が嫌で、何が好きで、こんなことができたらいいな、という会話をよくしていた。

子どもが生まれてから、ゆっくりじっくり話す時間はなくなったけど、日常会話の中でもそんな会話をしている。

夫婦で、お互いにうっすらと、どんな方向を見て生きているか、常に状態を確認している。

「ビジョン」というと大げさかもしれないけど、何を実現したいかはお互いにできるだけ聞こうとするし、相手のその実現には最大限寄り添う合意をしている。

私が転職するとき、収入面でやや問題があったが、妻は理解してくれた。

妻が学びの道に入るとき、私も同じように支えようと思った。

一方で財布は別々

お互いに、相手がいくら持っているか知らない。
生活費は按分して、公平になるように毎月精算している。

なんでそれが成り立つかというと、大きいものを買っていないから。

家を買う予定は今のところない。今の所、賃貸で十分。
車は買わない。カーシェアリングで十分。
モノを持つと、機動的に動けなくなるのが理由。
何が起こるかわからない。
仕事がなくなったり、介護の身になったり、病気になったり、自然災害が起きたり。
身軽にしておいた方が対応がしやすい気がしている。

対等な立場で歩んでいく存在として

昔は、夫婦の間で稼ぐ役割と、家を守る役割を分担してたから、財布を共有するのは当たり前だったし、夫は、お小遣い制で、お互いに制約を持ちながら、家庭を運営していたものと思う。

今は、女性の社会進出が進んで、夫婦共働きが当たり前になってきて。
労働と家事育児の役割分担も平準化されてきて。

夫婦はより対等になったのだと思う。

対等になったからこそ、お互いにどんな人生を歩むかの自由度があがった。

お互いに数えきれないほどの選択肢がある。

だとしたら、夫婦はそれぞれ、自己管理できる存在として尊重できるような関係が理想だと思う。

お金もキャリアも「自分で」考える。

だから、我が家は財布はそれぞれで管理している。

そのかわりに、「何を考えているか」、「何を目指すか」について、ちゃんと話し合う。お互いの、進みたい方向には協力し合う。「同志」のような関係。

もちろん、どちらかがお金で困ったときは、アラーム、ヘルプをあげて、その都度、どちらかが支え合う、ということは起こる。

依存はしないけど、助け合い、支え合う。

ここからの妻の学びの道も、それを忘れないようにしながら一緒に進んでいく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?