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(キリ)「愛」のそそぎ方

 先日、警察庁から平成30年の全国の自殺者数が公表された。その数は、速報値で2万598人。これで9年連続で自殺者数が減少したことになり、人数的にも昭和53年の統計開始以来、最も低い水準の値となったようだ(※1)。
 この結果について数値的には大変喜ばしいことなのかもしれないが、一般人の考えからすれば、いまだに年間2万人を超える人が自ら命を絶っているという事実のほうに衝撃を受けるのでは無いだろうか。

(※1)「自殺者2万598人、9年連続の減少 警察庁速報」(産経新聞/19.1.18)https://www.sankei.com/life/news/190118/lif1901180017-n1.html

 今年公開されたドキュメンタリー映画「牧師といのちの崖」の舞台は、和歌山県南紀白浜にある「三段壁」。国の名勝にも指定されている断崖絶壁は観光の名所にもなっている一方で、自殺の名所としても有名になっている。ここに「いのちの電話」を設置し、自殺を水際で食い止める活動をしているのが、本作の主人公である藤藪庸一氏。本業は、白浜バプテスト基督教会の牧師である。彼は、「いのちの電話」の運営のみならず、様々なトラブルや問題を抱え、帰る場所がなくなってしまった自殺志願者の為に教会を開放し、寝食も共にする。そして自ら経営に携わる食堂で自殺志願者とともに働き、対話を続ける中で少しずつ、彼らの自立を促していく。

「愛の反対は憎しみでは無く無関心である」

 かのマザーテレサは、そう言葉を残したそうだが、作中に登場する自殺志願者達は、まさに社会から憎まれることもなく、関心すら払われなくなって消えようとしていた「命」である。藤薮牧師の取り組みは、まさにそこに「愛」を注ぎ込む作業であると感じた。しかし「愛」は注ぎ込み過ぎると「憎しみ」にも変わることがある。実際に、自殺志願者と藤薮牧師の激しいやり取りが作品の中でも収められている。
 「愛」と「憎」、その狭間で苦悩し葛藤する藤薮牧師の姿に、大学教員を本業としており、日頃から「生きづらさ」を抱える若者達と関わる機会が多い私は、僭越ながら自分と重ねてしまい、ぎゅーと胸が締め付けられるような気持ちになった。

 東中野のミニシアター「ポレポレ東中野」で観賞してから2週間後、たまたま私は福井県の「東尋坊」に立ち寄る機会が与えられた。こちらも、南紀白浜の「三段壁」と同じく、自殺の名所としてよく名前が挙がる断崖である。自殺を志願する人達は、ここで何を思い、憂い、そして惑うのか。断崖に近づいて、思いを馳せようと試みた。が、まぁ、私なんぞがわかるべくもなく、ただただその断崖が怖くて、足がすくみっぱなしだった。でも、きっと自殺を志願してここを訪れる人も同じ気持ちになるのだろう。そして、これが「生きている」ということなのだろう。

 「生きている」を「生き続ける」にするために注がれる無償の「愛」。その1つのカタチを作品を通じて教えてもらったような気がした。

映画「牧師といのちの崖」
公式サイト:https://www.bokushitogake.com
上映場所:ポレポレ東中野(https://www.mmjp.or.jp/pole2/
上映期間:〜3月8日(金)まで

(text しづかまさのり)

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