見出し画像

(キリ)キリスト教と桜

寒い冬の季節が一段落し、ようやく春めいてきたこの頃。
今年も入学卒業のシーズンがやってきた。町は晴れ着姿を身にまとった若者達に彩られ、一層、春の訪れを感じるようになる。日本人の感覚からすると、そんな入学卒業というハレの舞台に華を沿えるものとして真っ先にイメージするものとして「桜」を挙げる人も多いと思う。
日本最古の歴史書「古事記」にも、「桜」は登場するくらいなので、日本人には馴染み深く、特別な存在であることに異論が挟む余地はないだろう。

そんな「桜」。
実は、キリスト教にとっても特別な木の1つであり、キリスト教をモチーフにした宗教画にちょくちょく登場する象徴的な木であることはご存じだとうか。
もっとも、西洋は日本人ように桜=花というよりむしろ、桜=果実つまり「サクランボ」のほうが一般的な認識としては強いので、キリスト教の文脈で登場するのも、もっぱら「サクランボ」ではあるのだが。

今も、クリスマス時期になるとよく歌われるキャロルの1つに「さくらんぼの木のキャロル」という歌がある。キャロルとは元々は地域の伝統的な民謡の意味合いだったが、地域の寄り合いの場たる教会で唄われるようになりキリスト教と融合する中で、現在では礼拝で唄われる賛美歌の一種と見なされることが多い。
「さくらんぼの木のキャロル」は、既にイギリスの教会で15世紀には歌われていたと記録が残っているというのだから驚きだ。

以下にその歌詞を記すことにする。

***
『チェリーツリー・キャロル』("THE CHERRY-TREE CAROL", CHILD 54A)

ヨセフがガリラヤの女王である
マリアと結婚した時、
彼は本当に年老いていました。

ある時、ヨセフとマリアが一緒に出かけていると、
赤と白と緑に彩られた、
さくらんぼの木を見つけました。

マリアはヨセフに、
それは穏やかに優しく話しかけました。
「さくらんぼを摘んでくださいな、ヨセフ。
私はお腹に子がいるのですから」

ヨセフはとても冷たく言いました。
「お前を孕ませた男に、
さくらんぼを摘んでもらえばいいじゃないか」

すると、お腹の中の小さな子が言いました。
「頭を下げて、甘いさくらんぼの木。
僕のお母さんに、さくらんぼをいくつかくださいな」

するとさくらんぼの木は、
てっぺんの枝をマリアの膝の高さまで下げました。
「ほら見て、ヨセフ。さくらんぼが採れたわ。」
***

この歌は、外典『偽マタイの福音書』第20章に描かれる、聖母マリアと夫のヨセフ、そして幼児イエスがエジプトに逃亡するシーンが下敷きとなっていると言われている。「外典」とはキリスト教の正典から異端として排除された文章なのだが、そんな正典から外されたエピソードが、民衆に支持をされて今もこうして、キャロルとして歌い継がれているというのはなんとも興味深い。
ちなみに幼児期のキリストや聖母マリアがモチーフとなっている宗教画に「サクランボ」が描かれることが多いのも、この外典『偽マタイの福音書』第20章のエピソードが元になっており、「祝福された者の果実」、「慈善」、「甘美」を象徴すると言われている。一方で、「サクランボ」の果汁の色などから「キリストの血」を連想させる果実として、「受難」「犠牲」の象徴として描かれることも多い。有名な「最後の晩餐」の絵画にも、弟子との晩餐の後のキリストの運命を連想させる食べ物として「サクランボ」が卓上に描かれている。
「祝福された者の果実」、「慈善」、「甘美」の象徴として、幼児期のキリストや聖母マリアとともに描かれることの多い「サクランボ」が、「受難」「犠牲」の象徴でもあるなんて、2人の将来を暗示させるようで、なんだか意味深・・・。

東京では本日3月21日、いよいよ桜の開花宣言がなされた。これから全国各地で桜の便りが届くことだろう。「やっぱり日本人は桜が好きだよねー!」お花見や宴会などでそんな声が聞かれたら、是非、言って欲しい。

「世界中の人が桜を好きなんだよ!」

(text by しづかまさのり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?