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(仏)ディストピア川崎で生きる

また寺のすぐそばで、心を覆いたくなるような事件が起きてしまった。またと書くのは近年信じたくない事件が相次いでいるからで、「寺の最寄駅は登戸です」と答えるのも胸が詰まる。被害にあわれた方々に心から哀悼の意を捧げ、事件当事者全員に一刻でも早く平安が戻らんことを、ご祈念申し上げたい。

ディストピア化する川崎北部

ここ川崎という土地には、「北部」と「南部」という区分が伝統的にある。北部(麻生区・多摩区など)は多摩丘陵に連なり、『オオカミの護符』にみられる山村地帯からニュータウンが興った西側エリアを指す。南部(川崎区・幸区など)は京浜工業地帯を有する臨港地帯で、日本の高度経済成長を底支えしてきた東側エリアである。
従来、南部のほうが治安は悪いとされ、俗に「川崎国」と呼ばれて記憶に新しい「川崎市中1男子生徒殺害事件」や「簡易宿泊所火災」などはこちらで起きている。しかしここ数年で、北部でも看過できない事件が続発するようになった。
2006年「川崎市宮前区梶ヶ谷トンネル内女性殺人事件」、2018年「乳児死体遺棄事件」、そして今回の登戸での「川崎殺傷事件」(これらの事件がすべて寺から半径3キロ圏内という事実が胸を衝く)、またこのわずか10日後にも、登戸から5キロ先の場所で殺人事件が起きている。程度は違えど、寺の敷地内でも警察に事情聴取を求められる事件が年に1度は起き、心中穏やかではない。
それぞれの事件にはそれぞれの背景があり、原因は単純化できないにせよ、何故ここまで物騒な事件が頻発するようになったのか。

『ルポ川崎』に描かれる世界

川崎の生々しい現状をあぶり出した『ルポ川崎』(礒部涼著、2017年)には、脚本家の山田太一が1970年代当時、川崎市北部を初めて訪れ、移住してきた頃の様子が描かれている。

やがて山田が移住すると、まるでモノクロームの世界に色を入れるかのごとく、徐々にマクドナルドのようなチェイン・ストアができて、街はにぎわっていった。(略)しかし、いざニュータウンが完成すると山田はそのフラットな街並みに、むしろ、不穏なものを感じ始めた。そこには暗さと汚れが、つまり、味わいが、エモーションを喚起してくれるものがなかった。彼は思う。「なるべく清潔にして清らかにして、というここで生まれた子はいったいどういう情感を持つんだろう」。

そんな川崎北部で育ったシンガー・ソングライターの小沢健二は、楽観的なイメージを纏い、逆に浮き浮きとした街の様を歌って人気を博していく(しかし根底には空虚さもあったという)。そして同じく北部出身のラップグループ、スチャダラパーと共作し「今夜はブギーバック」(1994年)をヒットさせたことに触れ、著者の礒部は

(スチャダラパーは)銃やドラッグでなくゲームやマンガ、そしてそれらをもってしても解消することのできない退屈について歌った。そういう意味では川崎市北部は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件によって安全神話が崩壊し、しばしば、日本社会の、悪い意味での転換期として位置づけられてきた95年以前のリアリティを象徴する場所だった

と川崎北部を定義する。

仮に、ここで山田太一が描いた川崎北部を第1世代(70~80年代)とするならば、小沢健二とスチャダラパーは第2世代(90年代)だろう。そこから更に25年が経った現代、これからの第4、第5世代はここでどんな悩みを抱え、この土地はどう定義されていくのだろうか。

この場所で寺を構えることの意味は

心が重い。現状、凶悪犯罪が多発するようになったこの地域で寺を構えているということの重み、役割を、考えない訳にはいかない。寺は、仏教は、人心に寄与できるのか?人を救うことはできるのか?少しでも歯止めになることは可能なのか?ここに住まう仏教者は、宗教者は、今後何をしていくべきなのか。すでにこれまで社会問題に取り組んでいる寺はある。さまざま手立てを尽くしている先人がいるが、まだ足りないのだ。否、課題がより細分化され複雑化してきたということもあるだろう。
寺への来訪者と話をしていても表立ってヘルプサインを出されることは稀で、水面下に隠されている分、なおのこと問題が複雑化しているようにも見える。救いを求める芽はそこかしこにあるのだ(否、すでにあったのだろう、目を向けようとしてこなかっただけで)と思うと、心がすくんでくる。
正直に言えば、怖いのだ。社会問題に真っ向から突入していくことは自らの身を晒していくことで、それには寺はあまりに無防備である。

パンドラの箱は開けられている

今回の登戸の殺傷事件では、後追いで元農林水産事務次官が息子を殺害したことでも、衝撃に拍車をかけた。今後、同様の犯行が全国どこでも起こり得るのだと気づかされてしまったところに、この一連の事件の真の衝撃はあったのではないか。これはディストピア最前線の川崎だけで起こる悲劇ではなく、誰しもの日常に潜む狂気なのだと、これは我々の地続きの問題なのだと見せつけられてしまった。
パンドラの箱は次々と開けられている。我々ひとり一人の地盤はすでに崩れかかっていたのだ。

Text by 中島光信(僧侶・ファシリテーター)



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