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(仏)グラミーと、アリアナのタトゥーと、民族気質と。

この記事の公開と時を同じくして、世界最高峰の音楽賞・第61回グラミー賞の授賞式がロサンゼルス(現地時間10日)にて行われている。今年のグラミーは14年ぶりに女性が司会を勤めること(R&Bシンガーのアリシア・キーズ)、黒人アーティストは受賞なるか?つまりアーティスト及びその作品の「多様性」が、どう重視されるのかという点で、注目を集めている。

数日前に女性シンガーのアリアナ・グランデはこの授賞式でのパフォーマンスを辞退したと報じられた。主催者側との折り合いがつかなかった模様。
彼女は親日家として有名で、語学スクールで日本語を学び、『千と千尋の神隠し』の主人公のイラストや、ポケットモンスターのキャラクター・イーブイのタトゥーを腕に彫り入れている。ヴィーガンを公言し、カトリックからカバラ(ユダヤ教神秘主義)へ改宗した人物。彼女の事をご存じない方も、2017年にイギリスのマンチェスター・アリーナでコンサート終演後に自爆テロ(と思われる事件)があったミュージシャン、と聞けば、日本でも大きなニュースとなったので、ご記憶の方もいるだろう。

そのアリアナ・グランデが、新曲の7rings(七つの指輪)を略して、手の甲に漢字で「七輪」とタトゥーを入れたという。ただちに「それはジャパニーズ・グリルの意味だ」と指摘され、「日本語愛がすごいのは伝わる」という見方もあれば、「文化の盗用だ」と難癖までつけられ、この一連の大炎上ですっかり日本愛は冷めてしまった様子。
興味深かったのは、だれもがこの七輪騒動を「日本語」の文脈で捉えていたことだった。本来的にはこれは漢字なので、厳密には「日本語」ではない。

漢字は英語でKanjiとも書くが多くはチャイニーズ・キャラクター(Chinese character)という。漢字伝来以前にこの島国には神代文字というものがあったとされ、そこに渡来人とともに漢字がやってきた。仏教経典も然り、中国大陸からやってきたのである。筆者がかつてシルクロードを訪ねた時、現地の博物館には西暦500年頃に書かれた「法華経」があった。それは、現代の僧侶が日常に読んでいるものと同じであり、いたく感激したのを覚えている。文字は時空を超えるのだと痛感した。

文字・言語には重層的に悠久のコンテクストが含まれていて、さらに同時代においてもシーンによって用いられた方がまったく異なる。それを無自覚に用いているわれわれが、アリアナのタトゥーをいたずらに誹謗できるだろうか。立場を逆にすれば、オシャレと思って意味不明な英語のTシャツを着ていて、内容を知ったら赤っ恥、に同じ構造だ。スケールは違えど同じ現象はさまざまな局面で起きているのではないか。寄ってたかってバッシングしている場合ではない。自分にだって他からバッシングされる要素は多分にあるのだ。

アメリカにおいてトランプ以降、さらに「多様性」が声高に謳われるようになっているのは、今回のグラミーにおいても顕著に見える。多様性とは、ルーツの異なる民族の、それぞれ異なった文字・言語のコンテクストまで包含して尊重することと解する。外国人の比重がどんどん高まる日本に、今まさに突きつけられている命題でもあろう。
まずは無知ゆえの糾弾には慎ましくありたいものである。それはとても迂闊で、とても滑稽なことだから。

(Text by 中島光信)

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