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#69 情報の洪水の中を泳いでいる子どもたち

 子どもたちが調べ学習をしていると、課題に関係のありそうな資料を集めますが、それは課題を解決するための資料でないことがよくあります。ネット資料で調べるときは、そのことがさらに顕著になります。
 子どもたちは、調べるということの意味を理解していないように思えます。まず教える側の教師が調べさせるということはどういうことかをしっかり理解して指導に当たる必要があります。知識を得るということが、テレビのクイズ番組を通して、軽いものになっています。知識は自分が考えて求めるものに向かって選び取るもの、選択するものが知識です。その選択的知識を得るのが調べ学習です。子どもたちが単なる物知りになるのでは、生きる力に裏付けられた賢さにはつながっていきません。
 今、大人でも子どもでも情報の洪水の中にいます。現代はこちらが求めるのではなくて、向こうから情報が押し寄せてきます。街の看板しかり、テレビのコマーシャルしかり、もちろん、ネットのニュースやその他の情報もしかりです。こちらが課題意識のないところに情報がやってきて「こうあるべきだ」「こんなこともあるぞ」などと結論を迫ってきます。さらに、情報は人間の欲望を刺激します。その情報を知らないとあたかも時代に乗り遅れてしまっているような印象を与えるものまであります。また恐ろしいことですが、それがあたかも真実のように思ってしまうことがあるのも事実です。
 子どもたちに安易にネットで調べ学習を実施することは、ある意味考えない子どもを育ててしまう危険性があると思います。そうならないためには、調べ学習に入る前には、子どもたちに強い課題意識や解決意欲を持たせるような指導者側の導入の工夫が必要です。さらに課題を自分なりにしっかりと把握して、その課題に対して自分なりの考え、仮説(予想)をたてさせる必要があると思います。

「~について調べよう」

 の類いの学習問題が黒板に書かれているのをよく授業で見かけます。単なる作業学習や課題学習なら、これもありかなと思いますが、問題解決学習にしていくのはちょっと難しいと思います。少なくてもこの手の学習問題では、子どもたちは問題意識を持てません。なぜならこれでは子どもたちが仮説(予想)がたてられないからです。

 仮説(予想)がたてられないということは、その問題(課題)(=解決しなければならないもの)について深く考えられず、その問題を自分のものにできないことになってしまうことを意味します。だから、それでは次の調べる段階での「こだわり」が生じてこないのです。いうなれば、それは与えられた問題(課題)に他なりません。したがってそれでは子どもたちの心の中に「その問題を解決したいという」強い衝動が沸いてこないのです。

 社会科の学習においても、残念なことに予想をたてさせないでいきなり調べに入らせてしまう先生があまりに多いです。予想をたてさせて、予想についてみんなで議論をする。そして白黒をつけるために調べてみようと次の調べ学習に移る。この過程があってはじめて子どもたちの頭の中で問題意識が深まると同時に、自分の問題としてとらえることができ、その結果解決意欲が高まるのだと思います。私はこの過程を「問題意識の醸成」と言っていました。これは料理と全く同じで、熟成に手を抜けば、おいしいみそや醤油、ワインや日本酒ができず何か物足りない味の得体のしれない代物になってしまうのと同じだと思います。授業も全く同じだと思います。
 自分なりに「たぶんこうではないか」という思いをもって調べ学習にあたらせなければなりません。このような学習経験を積むことで、自分の考えを確かめるために、このような知識、情報が必要であると見通せる能力がはじめて育つのです。そのために仮説(予想)が正しいものとするためには、どのような情報を取得して吟味していけばよいかを学び取らせていくのです。その学習経験を繰り返していくとやがて、ネットによる資料検索においても、子どもが自分の課題解決に必要なものだけを取り出せるようになってきます。
 「課題→ネット資料」では、先生が問題をだしたとき、すぐに子どもが「先生、答えを教えてよ」という場面に似ています。それは

 子どもが「課題に対して、迷う、思い巡らすこと」が省略されてしまっているからです。

 この子どもが「課題に対して、迷う、思い巡らすこと」が、新指導要領でいうところの「主体的で対話的な深い学び」に通じるものと私はとらえています。この「対話的」には、友達や先生との対話の他に、「自分自身との対話」があると思います。自分自身と対話するということが、それこそまさに「思考する」ことに他なりません。ですから、学習の中においては子どもたちに「自分自身との対話」をさせなければなりません。そのためには、授業展開の中で子どもたちに考える「間」を持たせることが必要です。

 今、世の中は情報化社会で便利になりました。しかし、有益な情報もあれば有害な情報もあります。知っておいた方がよい情報もあれば、知らない方がよかったと思える情報もあります。確かな情報もあれば信憑性の限りなく低い情報もあります。これらの情報がごちゃ混ぜになって私たちの目の前に突き付けられています。必要感を持たない目移りするだけの情報を洪水のように子どもたちに学習の中で閲覧させることは、人間の思考の退化につながる場合があることを私たちは心しておかなければいけません。手軽に情報が手に入るということは、そのような危うさがあるということに他なりません。子どもたちが情報の洪水の中で力尽きて溺れないよう泳ぐ力をつけるための指導をしなくてはいけません。

 最後までお読みいただきありがとうございました。



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