見出し画像

#115 簡単に納得しない子を育てる

 学ぶ力とは、子ども自身が教えられたものに対して、自ら問いかけることができる力のことであり、内発的なものです。先生が教えたことに対して、「でも、こんな場合はどうなるのか」「本当にそれでいいのか」と簡単に納得しないことです。

 授業において、子どもたちに簡単に「わかった」と言わせないことです。「わかった」と思ってしまうと、人はそれ以外の事実を追い求めようとはしなくなるからです。授業がわかることばかりの追究に終始してしまうのは問題があると思います。(もちろんわかることを主眼に置いた授業も必要ですがそれが全てではないという意味)学ぶというのは、ある意味「わからなさ」をどれだけつくるかということではないでしょうか。学べば学ぶほどに、わかったと思えることが、次の段階で、「それだけではない」「他にも考えがあるのでは」などの、新たな視点をもつことが「わからなさ」を生みだしていきます。

 学びとは、物事を多面的にみることです。授業において、子どもたちの視点をひとつに固定しないことです。そのためには、ひとつのことがわかっても、簡単に「わかった」と子どもたちにいわせないことです。

 子どもたちはわかったふりをしないと先生が納得しないことを知っています。

 簡単に「わかった」とわりきってしまったほうが楽だからです。こうして、先生も子どもたちも楽な勉強(つまり浅い理解)へと流れていってしまいます。それでは深い学びへと進んでいくことはありません。授業は、先生が子どもたちの「わかった」という思いをいかにゆさぶりつくしていくかだと思います。「わかった」という子どもに対して「どんなことがわかったのか」ということを個々の子どもにたずねます。その答えが、子どもによって当然ちがってきます。
 そこで、「みんなは、わかったと言うけど、そのわかった内容がどうして違うのかな」という問いかけをします。そうすることで、わかったふり、なんとなくわかったらわかったことにしていることを子どもたちに気づかせます。

 学ぶ、学問をすすればするほど、「わからなさ」が広がっていくものです。

 先生の「わかりましたね」のひと言は、子どもの新たなる学びを停止させます。だから「わかる」というあいまいさに気づかせていきます。そして子どもたちの「わかった」という内容を寄せ合うと、「わからなさ」が見えてきます。

 子どもたちは、「わかったことの内容」は追究していきません。いつまでも「わからない」とすることは、面倒なことであり苦しいことでもあります。先生にとっても、子どもたちに「わかった」と言ってもらわないと、次の学習のステップに進めないのでどこかで妥協します。わからなさはある意味「迷う能力」ともいえると思います。

 学ぶというのは、どこまでわからないと言い張れるかということです。わかったと思っても、他の視点から見直すことができるかということです。ですから、学びにおいては、素直な子どもにしてはいけません。学ぶことに対してしぶとくこだわりを持つ、頑固な子どもに育てるようにしていかなくてはいけません。  

「わかりましたか」という言葉が授業の中で何回使われるでしょうか。
「わかりましたか」という問いかけに対して「ぼくはわかりません」という子どもが何人いるでしょうか。
 できる子どもが「わからないです」ということはあっても、勉強に劣等意識をもっている子どもたちは、「わかりません」とは言いづらいですね。

 それは医者が診察のときに、「病気は治りましたか」と患者に尋ねるのに似ています。医者は、そのような言葉をかけるのではなく、医者自身の目と感性で患者の回復を診察します。学校の先生も同じだと思います。子どもが学習内容を理解したかどうかは、子どもの表情から感じ取ることが必要です。それができなかったら、理解しているかどうかを確かめる質問をしてみればいいのです。

 先生の「わかりました」は、子どもにとっては恐怖になることがあります。ある子どもは言っています。「先生にわかったかと言われたら、わかったとしか答えようがない」「わからない」と言ったら「どうしてわからないの」「こんな簡単なことがわからないの」「丁寧に説明したのにどうしてわからないの」最後には、「何回言ったらわかるの」というとどめの言葉が飛んできます。
 やがて、子どもたちは、学習内容を理解するための心を閉ざします。

 学習であれ、学問であれ、「わからない」ということから出発します。
そして、「わからない」ことがわかっても、さらに「わからない」ことがでてきます。学ぶというのは、わからなさの連続であり、わからなさを意識してそれを前面にだしていく営みです。
 「わからない」は、子どもにとって不安を伴います。正解が求められる教室にあっては、「わからない」は禁句なのです。

 具体的には、「わかり方ものさし」を子どもたちと考えてつくります。「わかる」「だいたいわかる」「半分わかる」「少しだけわかる」「ぜんぜんわからない」。このうち、どこまでをわかったとするかを子どもたちと話し合います。そうすると、「だいたいわかる」も「わからない」の中に入れるようになります。

 授業では、子どもたちのわからなさを吐き出させるところからはじめます。わからなさを吐き出させるために、先生が自ら「わからなさ」を正直に伝えるようにします。授業の中で、先生が「わからないので調べてくるね」と言ったり、「○○くんの考えが少しわからないのでもう一度話してくれないかな」と話したりして、「わからない」という言葉を多用します。

  わからないことを吐き出すこと(出力)から、教える(入力)ことへと移っていきます。子どものわからなさを大切に受け止めます。「簡単にわかるな」と伝えます。わからないといった子どもを受け止めていきます。
 わからなさは、学習意欲の原動力です。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


よろしければサポートをお願いします。これからもみなさんに読んでいただきよかったと思っていただけたり、お互い励まし合い、元気が出る記事が書けるよう有効に使わせていただきます。