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あ、あああ、あ。

学校のこと
高校三年生、学校で志望理由書のガイダンスとか模試について、判定についてのちくちくとかある。急に全てが現実になって青春ってカードを取り上げられた感じだ。大した青春、してなかったけど。

志望理由書のガイダンスだと、私達は興味のある事に対して書いてはいけなくて、自分達がやらなきゃいけない、変えなきゃいけない社会問題について書かないといけないらしい。

先生からは医学部の例とか救急車が来なくて亡くなってしまった男の子についてどう思うか、とか全部人命に関することばかり言われた。命を救うために自分が何をしたいか、社会のために何をしたいかをそこから考えるワークショップをやった。

たしかに命ってセンセーショナルだし、その問題については解決しなきゃいけないんだけど、実在した話したことのない人の生命についてそれをわざわざ取り上げて、他人の命を自分の価値に変換してしまうことがちょっと怖かった。
志望理由書を書いてる時点で結局大学に受かるっていう自己利益を求めてるのに、それをオブラートに包んで他人の人生を利用するのがとてもグロテスクに思えた。
こんなことで二日悩んでるので多分受験戦争かなりハードモードになってしまうな、と思う。

でも学校は全部いやなことばかりじゃなくて、楽しいこともある。倫理の授業とか凄く楽しい。
ここは今から倫理です。の高柳先生はやっぱりいなかった、
けど高柳先生の言ってる事が、考えていたことが少しずつ流れ込んでいる気がする。

先生かわいい

善く生きることはずっと授業聴いてたけどまだ分からない。私は善い人間になれているのだろうか。

絵を描くの、好きだけど最近ずっとつまづいてる。思ってるものと描きたいものがずっとちょっとずつ違くて頭の中のものを転写出来たらなぁとか思っている。
強くて切ない絵が好きでそんな感じの絵を描きたい、キラキラしてる絵、強さと涙でキラキラしているようなえをかきたい。
Twitterを見てると1日にたくさんの絵が目に入ってきて、こんなにみんな上手いのになんで私は上手くかけないんだろうって思ってしまう、もっと人をよく見たりしたい。みせてくれるひとがほしい。

インターネットのこと

インターネットで自分から進んで集める情報が結構な確率で暴力にいきついてしまったりする。なんかみんなが普通に恋愛の話をしてるのも意味わからなくて、ずっとTwitterで変なこころの形に触れ続けてしまっているせいで恋と愛と性的欲求と暴力が全部同じものとして認識してる。

自分に向けられる感情は基本的に大きければ大きいほどいいような気がしているから架空の暴力の存在が嬉しいのかもしれない。それが実体を伴ったら変わってくるのかもしれないけれど。

NEEDY GIRL OVER DOSEは未だにプレイ出来ていない。超天ちゃんとお話したらきっとダメになってしまうと思うから、もう少しおとなに、じょうずに生きれるようになってからやりたいなと思う。
超天ちゃんの飲むお薬は美味しそうだし楽しそうだから。

中学の図書室に浅野いにおのエッセーが置いてあったことをふと思い出した。リクエストをした人が誰なのか分からないしほとんど誰も読んでなかった本だったけどあの時読んでてよかった。きっと読んでなかったら今頃神様だと思い込んでいちゃいそうだから。

三秋縋先生を未だに神様だと思ってるみたいに。
彼の写真があがったりしたらきっと神様じゃなくなってしまうから、いつまでどうか神様でいて欲しい。今のところ私の中で1番力のある神様だから。


ペシミさんのnoteがバズっていて、遠野貴樹に憧れてる男の子はとても純粋で可愛くてとても面倒くさくて私には勿体なくてずっと遠くから小指だけで愛するくらいの距離感がちょうどいいのかもなって思いました。

わたしのnoteは常に混乱していて訳が分からなくてずっと泣きじゃくっているみたいな文章だよなと思ってる。でも毎日心の中で泣きじゃくってるからしょうがないし世の中全部訳分かんないことばっかだし、どうしようもなくて、でもわたしはそれを上手く嫌いになれないしそれを嫌いになっちゃったら自分の軸がなくなっちゃいそう。
ぐちゃぐちゃしてるのが全部自分で全部大切で整理整頓なんか出来ないけどそれでもインターネットとか教室とかの隅っこで生活をしていても許して、基本無視したフリして見ていて欲しいし、たまに話しかけて欲しいです。

サポート宜しければお願いします、おそらく本を購入します