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擦り傷

夏の暑さが嫌いになったのは、いつからだろうか。

小学生の頃は真っ青な空に浮かぶ入道雲も、キラキラまぶしいプールの水面も、夏を構成するその全てが楽しかった。
気温が高くなって、キョロキョロと目が動くかき氷機を出した時のテンション。今では年中いつでも食べることはできるし、大人になってみれば「たかだか氷とシロップ、っていう食べ物」と言われてしまうこともある。けれど、子ども心にはかき氷という存在も心が躍る大きな存在だった。
夏はずっと続く永遠のようで、まるで夏休みが終わることで強制終了していたようだったけれど、夕暮れに聞こえるヒグラシの鳴き声は、ちゃんと夏の終わりを教えてくれていたのだと、大人になって知った。

高校生になっても、まだ夏は好きだった。

学校が休みになることはもちろん、少し大人に近づいたことで夏祭りや旅行なんていうイベントの大人の危うさに近づいたことがテンションを上げた。その年の春、退屈な高校生活に飽きた私は秋から外国へ留学することが決まっていた。初めて向かう外国への新しい生活に期待しながらも、学校生活ではほのかに恋心を寄せる男の子のことが気になっていた。

恋とは一つの妄想のなれの果てだと思う。当時は今と違って、何の連絡手段もなかった。せいぜい、ポケベルくらい。友達を伝ってポケベルの番号を知り、毎朝晩、「おはよう」や「おやすみ」なんていうたわいもない連絡をするしかできなかった。だから妄想する時間も格段に多かったのだろう。廊下ですれ違った時に交わした二言三言を思いだしては、扇風機が仰ぐ部屋でポケベルを眺めながら一人転がっていた。

日本を離れる夏、「終業式の日、一緒にお昼を食べに行こう」と、あれは誘ったのか誘われたのか。もう覚えていない。終業式で先生が壇上で話している時から緊張していたことは覚えている。学校が終わり、校門で待ち合わせをした。太陽がじりじりと照り付ける中、雑木林の向こうまで歩き、そこから自転車に乗せてもらった。今では考えられないが、後輪のタイヤの中心部分にハブと呼ばれるパーツを付けて立ち乗りをしていた。足が落ちるのが怖くて、怖くてギリギリまでふくらはぎをタイヤに寄せていた。彼の肩に手を乗せることにばかり緊張していて他のことにはまったく気が回っていなかった。

お昼ご飯はハンバーガー屋だったが、トイレに行った時に、ふくらはぎがタイヤで擦れて赤く腫れていたことに気付いた。そこで初めて、まるでまっさらな紙で指を切ったときのように、派手ではないが地味に続く鈍い痛みに気づいた。でも彼には言えなかった。慣れない二人乗りを告白するようで恥ずかしかったし、心配をかけたくなかった。クシュクシュにしていた長い靴下を少し伸ばして傷を隠した。何もなかった顔で戻り、痛みを我慢しながら「お疲れ」と水滴のついたグラスに入ったジンジャーエールで乾杯したことをはっきりと覚えている。

そして夏が過ぎ、私は日本を発った。「またね」と別れたことだけ覚えている。1年後に帰国してから一度だけ廊下ですれ違ったけど、特に会話はしなかった。軽く会釈をして手を振ったような気がする。 あの夏は、付き合ったわけでも、告白したわけでもなかった二人だったけれど、胸が苦しくて、とにかく嫌われたくないと汗をかきながら過ぎた夏だった。しばらくの間消えなかったふくらはぎの擦り傷は、見るたびにあの時の情景を思い出させてくれた。

社会人になってからの夏は、暑くてしんどい。

ふくらはぎにあった擦り傷の跡はほとんど消えた。あの頃飲んだジンジャーエールは今ではビールに変わり、忙しい毎日をやり過ごすのに必死で、おおよそ青春とは言い難い日々を過ごしている。自転車に二人乗りをした彼の声も顔も、今でははっきりと覚えていない。
それでもうっすら残ったふくらはぎの擦り傷の跡や、大人になって飲むようになった冷たくてほろ苦いビールは時折、あの夏に味わった恋心をほんのりと思い出させてくれる。

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