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教育と社会は相反するもの?

 先日、本校が加盟する東京NBCで教育✖️企業研究部会というものを立ち上げた。加盟していきなり部会を立ち上げる人はいないようで驚かれたが、そこには教育分野で長年身を置いている自分が危惧している問題の解決を目指したいという目的もあり、多少強引ながらも進めさせて頂いたのでご容赦願いたい。なお、本研究部会は学校の先生と経営者がお互いの分野を知っていくということも目的の一つである。興味のある先生はぜひ参画をお願いしたい。

連絡は

k_yamana@shotoku.ed.jp

 さて、本題であるが私の危惧というのは、日本の学校は社会で活躍できる人材育成が根本にあるはずなのに、それぞれが別分野の考え方で人材を育てているという点である。学校の先生にしても社会に出た経験がほとんどなく、大学生の時から塾でバイトをしようものなら、大学1年生からずっと「先生」である。

 言うまでもないが、人というのは色々な刺激を受け、それを自分なりに解釈しながら取り入れて育っていく。その刺激の多様性が個性を育むものである。つまり、いくら個性を育てると謳っても、自分たちだけで教育を完結しているうちは個性は育ちにくい。

 大学に進学し、いざ就職活動を始めると、今まで学校以外の世界を知らないのに、いきなり世間に放り出されるのである。これでは、価値の基準として、「よく名前を知る大手企業」に応募が殺到するのも無理はない。自分の身の回りの話しだが、様々な活動が認められ、学長賞を取ったとか、世界を巡り歩いてボランティア活動に学生時代は勤しんだという人ほど、就職先として選ぶのはベンチャーとか中小企業が意外に多い。理由を聞くと「自分を発揮できそうな環境だったから。」とのことである。つまり、世界を広く捉えられている人たちほど大手という看板をもらうよりも、自分のやりたいことをいかに満たせるのかという考えに発展していくのである。

 ここで鍵となるのは「自分のやりたいことをいかに満たせるのか」突き詰めると、「自分とは何者か?」それを見つける機会を提供していくことが本来教育のあるべき姿なのではないだろうか?その見つけ方というのは時代と共に進化していく。以前は、工場で働く労働者の育成が前提だったため、それに即した人材育成モデルを学校は担わなければならなかった。現代ももちろん、工場生産してくれる人がいなければ困るのでそのような教育もありであろう。しかし、それを全ての学校が担う必要はない。それぞれの進みたい道を選択肢、技術や考えを磨ける教育が必要ではないだろうか。この研究部会が生徒たちの「自分は何者か?」という問いに対する答えをいくつも提示できるような場になればと思う。

 この会が成功したら次は

・ 文系理系の選択がなぜ、途中から変更できないのか?

・ 生徒主導と言いながら、大人張り付き・考えの押し付けの教育

・ ICTも重要だが、それよりも前に個の力を磨く教育

・ 成績優秀者ほど海外に出ることを全力で止められる心狭い教育環境

 これらを是正する活動もできたらなーと個人的に考えている。

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東京NBC教育×企業研究部会へご参加されたい先生方は

k_yamana@shotoku.ed.jp

までご連絡ください!

固い内容だけではなく、楽しいことも一緒にやれればと思っています!

教育と企業の垣根を越えよう!

世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。