頭の中整理

「よし、口を悪くするぞ!」と意気込んでから汚い言葉遣いをしている。そのほうが軽快に汚い言葉を口から排出できるからだ。時には口を悪くした方が体にいいと考えている。毒素を出すには、汚い言葉を言うべきだ。1人の空間で大音量の音楽をイヤホンで聴きながら口を悪くすることがおすすめである。人を不愉快にさせないし、自分の耳にも入ってこないので、ただひたすら毒素を出すことができる。

一度死を考えたら一生付き纏うと言ったような内容のツイートが、私のTLに一瞬現れすぐに消えてしまった。私の目に1秒も満たない間触れただけなのに、心に残っている。私が死を考えたのは中学1年生の頃だ。中学1年生から大学4年生になる期間ずっと私は死と手を繋ぎ生きている。多分、私も離すつもりはないのだと思う。死が私の手を離したとしても私は強く握りしめているような気がする。そう感じる瞬間がいくつかあった。死の冷たさだけではなく、暖かさを知ってしまったのかもしれない。これからも死と恋人繋ぎをして一生を終えたい。

夜が好きだった。暗くて静かで冷たくて、そんな夜に安心感を覚えていた。お酒を飲むことが好きだから余計夜を好んで過ごしていた。お酒を飲み気持ちよくなっているときに、静かな公園を散歩することがストレス解消になっていた。最近は朝の良さに気づいた。朝は起きたくて起きるときに迎えるものではなく、起きなければいけないときに迎えたくもないのに迎えてしまっている印象が強かった。大学生の長い春休みの中で、アラームをかけていないのに朝早く起きてしまう時期があった。最初は、起きたくもないのに起きてしまったと絶望していた。なにより太陽の光で起きることが嫌いだった私は、「許さない太陽」と呟きながら光を睨みつけていた。しかし、二度寝を諦め早朝にベッドから出てベランダで朝の風を浴びた時に、朝の清楚な空気の気持ちよさに気づいた。予定のない朝は時間の流れが遅く、とても優雅だ。動き出していない世界、動き始めた世界、それらを感じることができる朝に価値を感じた。はやく、朝を制したい。

常に頭の中では音楽が流れていて、頭の中に存在している自分が喋り倒していて、その自分とさらに会話をする自分がいたりして、てんやわんやしている。こんな状態が通常だと思っていたし、このくらい騒がしくこの騒がしさがストレスになっている人ばかりなのだと思っていた。しかし、そうではないらしい。私の頭は空っぽになったことはないし、白くなったこともない。常にギュウギュウで常にカラフルだ。カラフルなだけではなく、スパンコールやラメが足されているような気もする。そのくらい騒がしい。このようなことを書いていただけで、脳内再生音楽は変わりパリピEDMになった。加えてミラーボールも回っている。なぜこんなにも厄介な脳内をしているんだ。根暗な私がここまで騒がしい脳内を作り上げているとは思えない。私以外の私が私の中に存在して好き勝手やっているのだろうと長年思っている。私の脳内コーディネーターに電気消してもらっていいですか?とお願いしても、いまだにミラーボールが回り続けている時点で私ではない私が主導権を握っているのだと確信した。私が寝る時までに、せめてパリピEDMではなく睡眠導入BGMに変わり美しい自然を流してほしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?