好きのかたち


恋愛がとことん心を汚染することに悲しくなります。魚を釣るために海に出たというのに、ゴミばかりが釣れたら悲しくなりませんか?私の心から、彼への好きを集めようとしているのに悪意ばかりを拾ってしまいます。私の心はとっくに汚れていたのです。気づかないうちに、日々の蓄積で取り返しのつかないことになっていました。

毎日少しずつ、自分の心の汚れを取り除いています。しかし、毎日同じくらいほこりが溜まり、傷がついています。気づかないうちにできていたシミがあったりもします。掃除は大変です。部屋の掃除さえできていないのに、心の掃除ができるのでしょうか。私は逆だと考えています。心の掃除さえできていないのに、部屋の掃除ができるわけないのです。まずは、みなさん、心の掃除から始めましょう。

不純物のない綺麗な心を持っていた頃に戻りたいです。私に性愛は必要なかったのかもしれません。しかし、知ってしまった以上求めてしまいます。そんな自分に汚れを感じ、悲しくなてしまうのです。汚染された心のままでもいい、悪化してもいいから、貴方を愛したい、愛し合いたい。恋愛渦中には、そのような考えを持ってしまいます。

恋愛は恐ろしいです。恐ろしくない恋愛もこの世にはあるのだとそう信じたいのですが、やはりないような気がします。丁度いい好きを持続できる人が存在しているのでしょうか。"好きだから"を理由に、暴走している人ばかりを見てきました。私もそうです。好きだから位置情報が知りたい、好きだから私/僕以外の異性と会話をしてほしくない、好きだからスマホを見せてほしい、など、、、。"好きだから"を理由にどんどん要望がエスカレートしてしまうのです。"好きだから"が理由の要望を一度承諾してしまうと、さらに過激になった要望を拒否すると、好きじゃないから断るんだと被害者面されてしまいます。許しは難しいのです。

丁度いい好きとはどのくらいの大きさ、重さでしょうか。自分と相手の負担にならない規模ではあると思うのですが、支えられる"好き"は果たして本当の"好き"なのでしょうか。支えられることすらできず、押しつぶされてしまう、好きはそうであってほしいです。これは私のわがままです。しかし、やはり丁度いい好きなんて求めていませんでした。丁度よくない好きを求めています。重量オーバーの好きで壊れることが恋愛の醍醐味なのかもしれません。

心の汚れは、大きくて重たい好きで隠してしまえばいいのです。完璧は疲れます。たまには見て見ぬふりをする必要があります。恋愛とは脳のバグと目にしたことがあります。私はこの言葉にとことん甘えようと決めました。汚れた心も、掃除がうまくいかないことも、暴走してしまうのも全てバグが起こっているからです。自らバグを起こしているチーターでもいいのです。恋愛はそういうものでした。悲しくなる暇はないのです。

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