人との関わり方

会話を楽しめるかどうかは、自分が鍵を握っていると思うと成功する気がする。

少し苦手意識を持っている人と最近アルバイトを始めた新人と私の3人でシフトが被っている日があった。苦手意識と新人は初対面だ。私はこのシフトを見た瞬間、終わった、、、と絶望していた。毎日のようにシフトを確認しては震える日々を送っていた。誰かにシフトを変わってもらおうか、少し遅れて行こうか、そんなずるばかり考えていた。

当日を迎え、より緊張が増していた。沈黙が続いたらどうしよう、2人と関わったことがある私が会話を回すべきなのだろう、勝手に責任を感じていた。しかし、驚くことに、その苦手意識が退勤時間を過ぎてしまうほど話が弾んだ。

私は、私がどうにかするしかないとずっと責任を感じていたため、いつも以上に話題を提供した。一対一の会話にならないように、どちらにも話をふるようにしていたし、苦手意識と新人が会話をできるようになんとなくパスを出したりしていた。いつの間にか、気負わなくても3人とも笑顔で会話をするようになっていた。その結果、先に上がる予定である苦手意識が数分退勤時間を過ぎてしまうほど盛り上げることに成功した。もしかしたら、私だけではなく他の2人も、この3人の時間を気まずい空間にしないように前々からどうしようどうしようと悩んでいたのかもしれない。

しかし、私が鍵を握っていると緊張していたことも大切だったのだと思う。会話を楽しませる、笑顔にさせる、そんな気持ちが人と関わる上で重要なのだ。楽しめるか楽しめないかは、気の持ちようだ。私を楽しませることができるのは私だ。私を楽しませることができる私は、会話相手も楽しませることができるはずだ。時にはこのような自信過剰でいることも重要である。

私は、元々人と関わることが苦手で避けていた。だからこそ、人との会話が楽しくなく苦痛であった。相手が悪いのではなく、ネガティブな感情を抱きながら関わっていた私の問題であったのだろう。

悪口を言っていた人となぜあんなに楽しそうに会話ができるのだろうと不思議に思ったことが何度もある。このような人は、考えずとも自分で自分を楽しませるという方法で相手と関わることができる器用な人間だったのだと思う。不器用な私は、今日の今日までそのことに気づくことができなかった。

自分次第で人との関わりを楽しむことができると思うと楽になった。楽しもうと思っても楽しめなかったら、その人とは本当に合わないのだと思う。それもそれでいいのだ。その辺は適当に生きよう。

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