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お金になる気持ち、ならない気持ち

こんにちは。あすぺるがーるです。


気持ちには、「お金になる」 ものと 「お金にならない」 ものがある、と私は思っています。


今回は、それぞれの気持ちについて例を挙げて紹介しようと思います。


お金になる気持ち

本題の前に、お金が生まれた経緯を簡単に説明しようと思います。

大昔の人びとは、自分の物と他人の物とを交換して、欲しいものを手に入れていました。しかし、物々交換にはお互いの希望が容易に一致しないなどの難点がありました。
そこで
(1)誰もが欲しがるもの
(2)収集・分配できて、誰もが納得できる値打ちの大きさを表現できるもの
(3)持ち運びやすく、保存できるもの
これらの条件を持つ、布、穀物、砂金などの品物が交換の手段として使われるようになりました。
「おかね」 のはじまり - 日本の貨幣の歴史 - お金の歴史 - 公益財団法人 八十二文化財団

このような経緯から考えると、お金には少なくとも 「取引相手への期待」 が込められていると言えるでしょう。


現代でも、それは変わらないと思います。


たとえば、クラウドファンディング。

クラウドファンディングにお金を入れる背景には、お金を入れる先の相手に 「目標を達成してほしい」 という期待があるはずです。

このクラウドファンディングなら、こーさんの目指す「メムの存続・発展」への期待を込めて、お金をいれることでしょう。


何か(特にビジネス)を成し遂げようとするとき、そして何かを続けようとするときに「お金」が必要なことがままあります。

お金を払うことは、事業達成への期待とともに「相手への応援」も意味することだと思います。


例に出したついでに宣伝

というわけで、支援よろしくお願いします。

(ただの常連の身では若干おこがましい言い回しの気がしなくないですが)


お金にならない気持ち

大学の文化祭が終わり、文化祭で運営した出店の収益袋を開けたとき。


私の目に、思いがけないものが飛び込んできました。





飴玉です。


このとき私は、お金が入っているはずの袋に入った 「お金にならない気持ち」 を感じました。



先ほどはお金に込められた気持ちの話をしましたが、世の中の気持ちの大半は、お金にならないことが大半です。

そのため、いくらたくさんのお金が手に入っても、手に入れられない気持ちがあるのです。


以前のつぶやきでも紹介した、赤髪のアフロヘアーに赤いワンピースの少女で有名なミュージカルの原作小説、「アニー」 。

そこに登場する億万長者、ウォーバックス氏に関しては、以下のような記述があります。

彼は世界一の大金持ちだったが同時に世界一孤独な男だった。というのは彼には家族がなかったばかりか、本当の友達もいなかった。おまけにこの時までたったの一日も仕事から離れたことがなかったのだ。(p.159)

そんなウォーバックス氏は孤児院でアニーの性格に惹かれ、彼女を引き取るのみならず、彼女にニューヨークの街を案内するために生まれて初めての休暇を取りました。


その後、アニーの両親を探す手伝いをした後、ウォーバックス氏はアニーにこう語りかけました。

「アニー、わたしは世界一の財産を築いたのだよ。(中略) わたしは世界中で最も有名で力のある人物五人の中の一人なんだそうだ。しかし、それでもわたしの人生には何か欠けている、といつも秘かに感じていたんだ。とても重要な何かがね。そして、最近、それが何なのかやっと分かったんだよ」 (p.226)
「あんただよ。あんたというものがわたしの人生に欠けていたものだったのだ。誰か、愛する相手がね」 (p.227)


そう、お金で 「愛」 は買えないのです。



お金で買えるのは、あくまでもあなたの一側面に対する期待や応援のみ。

あなたの全てに対する 「愛」 や、「愛」 に紐付けられた幸福を買うことはできないのです。



ウォーバックス氏が 「愛」 を手にしたのが、「お金」 を稼ぐ行動である仕事から離れたときだったことが、それを象徴しています。


お金の量と気持ちの大きさは無関係

お金と気持ちには、明確に違う点があります。

1. お金は量に限りがある。
気持ちの大きさに限りはない。
2. お金は測ることができる。
気持ちの大きさを測ることは不可能。
3. お金は期待から外れたら失う可能性がある。
気持ち、特に「愛」は、期待から外れても失わない可能性が確保されている。

そのため、わずかなお金にも、大きな気持ちを込めることができることが有り得るのです。


収益袋に入れられた飴玉の値段は、おそらく大したものではないでしょう。

しかし、飴玉に込められた感謝や労いの気持ちは、確実に私に届きました。


不器用ゆえ、物資提供や誰にでもできそうな雑用、そして不向きを承知で引き受けた、しかし深刻な人手不足な部門の材料回収。


たったそれだけのことにさえ、感謝や労いをいただいたことは、わずかながらも自信に繋がりました。


上のクラウドファンディングでも、500円しか寄付できなかった方はいらっしゃるでしょう。

しかしそれは、メムを応援する気持が小さいことを意味するものではないと思います。


実際、上記のクラウドファンディングの場を提供しているCAMPFIREにも、支援した相手にメッセージを贈ることができるので、お金の少なさはメッセージで補うことができるでしょう。


工夫を凝らせば、どれだけ少額なお金にも、たくさんの気持ちを込めることができるのです。

逆にいえば、どれだけたくさんのお金やモノを与えても、そこに一切相手への気持ちや 「愛」 が込められていなければ、相手を真の意味で幸せにすることはできないのです。


さいごに

お金は確かに、特定の状況では強く求められるものだし、お金を提供することで期待や応援を届けることができることもあるでしょう。

しかし、お金で届けたり買ったりすることのできる気持ちは、気持ちのうちのほんの一部なのです。


相手と子どもを持つことを望む女性が、一定以上の収入を恋愛相手に求めることが少なくありません。

男女の収入差、子育てにかかる費用の膨大さを考えると致し方のないことなのかもしれませんが、勘違いしないでほしいことがあります。


「くれるお金の量が多いほど、自分を愛してくれているわけではない」 ことです。


相手が 「恋愛相手」 、酷い場合 「肉体関係を持ってくれそうな相手」 としての期待だけを込めてお金をあげているかもしれないからです。


それは本当に 「愛」 と言えるのでしょうか…?

それは本当に、あなたの望んだ関係なのでしょうか…?


もしあなたが、恋愛相手に 「愛」 を求めるとしたら、相手の収入の多寡に囚われずに相手を探すことをお勧めします。


お金だけなら福祉制度を駆使できれば、わりかしどうにかなりますが、「愛」 で成り立つ関係は、お金だけでは成立しないのです。


少し話が脱線した気がしますが、一言で言うと

「お金の量が全ての感情を表しているわけではない」

ということです。


もらったお金の背景にあるものを見極めることが、真の「愛」や幸福につながるのです。


#お金 #気持ち #愛 #期待 #応援 #哲学 #ライフハック



















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