見出し画像

安楽死についての私見

2018/2/4 はてなブログ自記事より

こんにちは。あすぺるがーるです。

以前、『安楽死で死なせてください』の書評を書いたのですが、今回は私自身の安楽死についての考えを書いていこうと思います。


もう少し親しみやすい話題について書けないものかと自分でも思っているのですが、どうすればいいのか自分でもよく分からない…。

これが自分のキャラだって割り切るしかないんですかね…?


以前書いた書評はこちら↓です。
本の概要と感想を紹介しているので、ご参考まで。


さて、本題へ。


私は、安楽死賛成派です。

将来もし安楽死が合法化したら、利用を希望するかもしれません。


さすがに、生きあがく時間も気力もある今、直ちに死のうとまでは思っていません。



ただ、これが30年後、40年後になって同じことを言えるだけの自信は、私にはないのです。



そのときにパートナーがいればまた変わってくるのかもしれませんが、人付き合いに困難を抱える障害を持つ以上、パートナーができない人生も十分に考えられるのです。


家族のために生きたいとも思えません。

特に、母の介護なんて絶対にやりたくありません。

一人暮らしできるようになったら正真正銘ただのお荷物になるだろうし、母も母で「介護なんてしてくれなくていい」と言っています。

母なくして今の自分がないことは重々承知ですが、それが本音だものしょうがない。


生きがいになるほど関係性の深い同い年のリア友を作れるぐらいなら人生詰んでないし、友達と呼べる関係のフォロワーさんも、8割方年上です。

しかもその過半数が10歳以上年上、男性率も高め。

女性の私より、そもそもの平均寿命が短いのです。

運良く関係性が続いてたとしても、先立たれることは間違いないでしょう。


仕事だって生きがいにできるかどうか分かりません。

仕事で苦労してらっしゃる、そもそも仕事できる状態でない発達障害当事者さんも多いのです。

働けていても、ただのお金を稼ぐ作業に成り果ててるかもしれない。


高齢の発達障害当事者に対するサポートも、日本ではまだまだ不十分です。

若い(現在21歳)今だからこそ、「発達障害当事者が少しでも生きやすくなるような一助になりたい」なんてパイオニア気取りができるものの、年老いたらどうなってるか分かりません。


そもそも発達障害自体歴史の浅い障害で、50歳から60歳までの方で診断された方も少ないです。

老いてあがく時間も気力も体力も無くなった中、先駆者の知恵無くして生きるなんて考えたくもない。

今でさえ「生きるのしんどい」って感じるときがあるのに…。


「海外に行けばいいのでは?」

そんな気力があるぐらいなら、日本で頑張って生きられますって…。 



私たち発達障害当事者が、二次障害を患った方も含め、老いてもなお幸せに生きていくためのサポートが確立できないぐらいなら、せめて死ぬ権利ぐらいほしいのです。

海外ではなく、日本で。

#安楽死 #尊厳死 #QOL #生きがい #生きづらさ #高齢化 #老い #介護 #生存権 #死ぬ権利 #安楽死合法化 #終活 #リビングウィル

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。いただいたサポートは、他の方のnoteのサポートや購入、そして未来の自分を磨くことに充てる予定です。