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女性と家族の近代史 1

こんにちは。あすぺるがーるです。

今日は、「母からの解放」考察シリーズ第二弾を書いていこうと思います。


タイトルの通り、女性と家族を取り巻く歴史を扱っていこうと思うのですが、長いため

戦後〜1900年代→「女性と家族の近代史 1」
1900年代~現代→「女性と家族の近代史 2」

としようと思います。


母娘問題は、しばし母個人のみに責任がある問題のように扱われますが、信田さんはそれをきっぱりと否定しています。

こうした母親の巧妙さは、親子関係や家族のなかだけ見ていると、母という個人に欠陥があることで起きる問題のように思われるでしょう。
でも、実はそうではありません。この問題は、とても広い射程を持った、社会的で歴史的な変化と対応しているのです。母娘問題を個人の問題に落とし込む考え方は、母娘問題を狭い世界に閉じ込めてしまおうとするものです。(P.123)

というわけで、女性と家族について歴史的観点から見ていこうと思います。


団塊世代の家族観

戦争は、万人の心に大きな歪みを残します。

日本でも第二次世界大戦後、多くの元兵士たちが混乱の中で家庭を持っただろうこと、そのなかでいまでいうDVや虐待が起きていただろうということは想像に難くありません。(P.65)

このような戦争経験者である親の元で育ったのが、団塊世代です。


それまでは結婚はお見合い婚が主流だったのですが、親の代の価値観を刷新しようとした団塊世代では、恋愛結婚が主流になりました。


恋愛結婚への夢を駆り立てる幻想や考えをロマンチック・ラブ・イデオロギーといいます。読者のみなさんはどう思われるかわかりませんが、六〇年代から七〇年代にかけて、愛と性と結婚が三位一体であるとする考えが一般的でした。
特に女性たちの読む雑誌や小説などは、このような考え方に統一されていたといっていいでしょう。本当に好きな人、愛する人とだけセックスをする、それは即結婚に結びつくという考え方です。(P.76)


戦後の欧米文化の流入も、ロマンチック・ラブ・イデオロギーの定着に一役買いました。

アメリカのホームドラマによくあるような家庭像がもてはやされるようになったのです。

白黒の画面には、『パパは何でも知っている』をはじめとするアメリカのホームドラマが流され、そこでは愛し合う両親と愛らしい子ども、(中略) 庭の芝生を駆け回る犬という舞台装置がそろっていました。(P.64)

このような、恋愛によって結ばれた若い夫婦と子どもから成る核家族という家庭像を、ニューファミリーと呼びます。


また、一九六〇年代の学園闘争の経験により、結婚相手に出世やお金を求めないという価値観もありました。


「理想の家族観」が生み出した問題

しかし、ロマンチック・ラブ・イデオロギーの信奉の元に結婚した団塊世代の女性たちは、結婚生活で大きな憂き目を見ることになります。


時代がバブル景気に向かい、仕事がどんどん忙しくなるにつれ、「家庭を顧みず仕事に励むことが男にとっての価値」という風潮が蔓延しました。

「大切なのは愛だ」と言っていた夫が、やがて組織の一員として組み込まれ、管理職になり、仕事に邁進していったとき、妻たちはその変貌ぶりに少なからず挫折があったのかもしれません。(P.106)


そして夫に失望した妻たちは、満たされない自己肯定感を子育てで満たそうとします。

夫の変身を見た妻たちは、期待できるのは、そして唯一の味方になってくれるのは子どもだと考えたのでしょう。子どもを理想的に育てることに価値を見出し、それを遂行することが、母である自分の功績になると理解したのです。(P.108)

こうして「子どもをコントロールしようとする母」、子ども側に言わせると「毒母」が誕生したのです。

その「毒」の発露の最たる例が、教育虐待です。

子どもを理想的に育てることとは、一部の芸術家やスポーツ選手の家族以外にとってはやはり、学歴を身につけさせることでした。バブル期以前はそれほど大学進学率が高くなく、就職率も高かったこともあり、現在ほど社会の階層化、格差化は進んでいませんでした。そんななかで、学歴をつけることだけが確実なステップアップの方法であると信じられていました。(P.108)
「つばを呑み込むときだけが自由だった、それ以外の時間はずっと母の監視を受けていました」「塾があるのが日曜日、それ以外は塾の予習、復習のために別の塾に行き、家庭教師も週二回来ていました」「家の手伝いなんかしなくていい、とにかく勉強しなさい」「あの子に負けない偏差値の学校に入りなさい」「人より成績をとらないと、あんたの存在する意味はないんだよ」という親たち。(P.110)


子どもが言う通りにならなければ、暴力。


それでも、親の希望する学校に入れないと…

自分のすべてを賭けたのにその期待に応えられなかった娘のことを、母親たちは人生の落伍者扱いし、もうどうなってもいいとばかりに心理的に捨ててしまうのです。期待を実現できなかった娘は用済みなのです。
弟や妹が成績がいい場合は、比較して「なんであんただけ出来損ないなんだろう」と露骨に差別的な発言をぶつけるのです。(P.111)

こうして娘たちは「親の期待に応えられなかった」という罪悪感を背負い、何かのきっかけで親の愛情に疑問を持つようになるのです。


ひずみの根本にあるのは

団塊世代とその子どもたちの間の「毒母問題」の根本には何があるのでしょうか。

それにも、歴史的・社会的背景が大きく関わっています。


「結婚」以外の手段がなかった

団塊世代と呼ばれる女性たちにとって、家を出る手段は結婚しかないも同然でした。

四年生大学進学率は五パーセントに過ぎず、残念なことに一部の女性以外には卒業しても一生食べていけるような就職先はほとんど見つかりませんでした。(P.75)


しかも結婚できるとされる年齢には、24歳という上限がありました。

すでに死語となりましたが、二五歳を超えた女性を揶揄する「売れ残りのクリスマスケーキ」という言葉は一九九〇年代まで使われていました。(P.76)

クリスマスは12月24日なので、クリスマスケーキは25日を過ぎなくなったら当然売れなくなります。


それと同じように、女性も25歳をすぎたら「売れ残り」になる、ということです。


こうして、親に生活資金を援助してもらうあてのない女性たちは、「結婚」が何を意味するか知る間もなく「結婚」することとなったのです。


「結婚」の意味したもの

団塊世代の専業主婦率がもっとも高いという調査があるように、彼女たちの多くは結婚を機に仕事を辞め、主婦として生きることになりました。自分の仕事や業績などはなく、〇〇さんの妻、〇〇ちゃんのお母さんと呼ばれるだけの人生に入らざるを得なかったのです。(P.107)

当時の「結婚」は、「〇〇さんの妻」、「〇〇ちゃんのお母さん」という肩書きと引き換えに「自分」という主体を奪われることを意味していました。

それによる不全感を抱えた女性たちの結婚生活を維持したのは「恋愛結婚をした夫は自分を理解してくれるはず」というささやかな期待でした。



しかし、その期待が報われることはありませんでした。


そんな女性たちがどうなったかは、前項で述べた通りです。


高齢化

七〇歳前後で亡くなる人も多かった一九七〇年代までは、「うちの母さんって、なんかヘンじゃないかしら?」と、思う間もなく、母親と別れる時期がやってきたのです。女性たちの多くは、望まなくても必然的に、ある程度の年齢を過ぎると娘という立場にさようならすることができました。(P.61)
また、ほとんどの娘たちは二五歳前後で結婚し、実家を離れることになりました。頻繁に里帰りすることもできず、嫁ぎ先で姑にいじめられればなおさら、実家の母親が唯一の理解者として理想化されることになります。(P.62)

しかし、今はそうはいきません。

子どもが結婚し、親元を離れても母は生き続け、子どもの生涯の大半にわたって母娘関係が続くことも珍しくなくなりました。


医療・科学技術は、先人たちの想像をはるかに超えるものとなりました。

その急速さは、良くも悪くも、数十年前には考えられなかったようなできごとをもたらすのてす。

五〇年前には誰も想像しなかったことですから、未曾有の家族をめぐる実験ではないかと思うほどです。(P.62)

つまり、母娘問題に悩む団塊世代の女性とその子どもたちは、先例のない問題を独力で解決するパイオニアの役目を、否応なしに背負わされているということです。


「時代背景の理解」の重要性

この話は、私の世代や私より若い読者のみなさんには訳の分からない退屈な話だったかもしれません。

しかし、母娘問題の解決には「母親を理解する」ことが欠かせない、と信田さんは主張します。

母親がこれまで生きてきた歴史、同じ女性として苦しんだり迷ってきた背景をそれなりに理解しようとする。このような「母親研究」こそが、同じ女性として母親を知ることであり、ひいては母親の人生と自分の人生を分けることにつながると思っています。(P.200)


同じストーリーでも、時代背景を知って読むのと知らずに読むのとでは、全く違う解釈が生まれることがあります。

特に、自分の生きた時代より前のストーリーは、自分の価値観や考え方を当てはめて読むと、とんでもない読み違えをしてしまうことがあります。


高校の現代文の教科書に掲載されている「舞姫」も、その一つです。


「舞姫」の主人公、豊太郎は時代背景を知らずに読んでいる人にしばし「妻を裏切ったクズ」と叩かれることがあります。

しかし時代背景を知って読むと、豊太郎がいかに妻を愛していても、豊太郎は決して妻と添い遂げることはできなかったことがはっきりと分かります。


母娘問題も同じです。


「母を理解する」ことは、決して「母を許さなくてはいけない」ことを意味しているのではありません。

母を主人公にした「ストーリー」の最適な解釈と、母と自分の「ストーリー」の最適な結末を描くのに、知識が必要という、それだけです。


知識が必要なのは、母娘問題に悩む母娘たちだけではありません。

母娘問題に悩む女性が身近にいる全ての人に、母娘問題の知識は必要です。


娘の夫やパートナー、娘の友だち、娘と同じ会社の人なども、母娘問題に悩む女性たちの「ストーリー」の登場人物です。

「ストーリー」には脚本がない以上、全ての人がカギになる可能性を秘めているのです。


「ストーリー」を動かすのは、あなたの行動かもしれません。

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