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天使の報い


 天使のショートボブが窓から吹く風に揺れる。白いカーテンが天使の頬を叩く。
 F高校。昼休みの喧騒。2年D組を賑わす生徒の笑い声。窓際で本を読むフリをする中野翼の後ろに座る天使。
 天使の名は田中愛。クラスにいて印象に残らない生徒。認知から遠く離れた存在。善行には幸福を、悪行には厄災を、人に平等をもたらす天使は、ひっそりと、人に紛れて暮らしている。

 中野翼は本を閉じた。おもむろに立ち上がると窓を閉める。風に靡くカーテンが鬱陶しかったのだ。一度閉じた本をまた開く気にもなれず、翼は静かに教室を出た。
 顔を上げる田中愛。風で乱れた髪を撫で付けると立ち上がる。窓を閉めた中野翼の行為を善と判断した天使。無音で彼の後を追うと、その背中にピタリと張り付く。
 人に認知され難い存在。人を超越してはいない存在。天使の判断で起こる報いは天使の手によって行われる。
 因みに、人の善悪に疎い天使は、平和な地域を任される事が多いと言われているが、真相は定かではない。

 田中愛の前を歩く中野翼。彼は静かな場所を探していた。活力漲る子供の集まる狭い学校で、静寂を探すという至難の業。取りあえず、翼は、一階の体育館前の古いトイレを目指した。
 天使は人の心を読めない。最近、男子高校生の心理状態を勉強し始めた田中愛は、肩を丸めて前を歩く中野翼の想いを読んだ。
 前方から髪の長い女生徒が歩いてくる。スラリと伸びる手足。短いスカートから覗く小麦色の太もも。
 田中愛は立ち止まった。彼との距離を作る。中野翼と女生徒が廊下の中央で交差する刹那、田中愛は走り出した。中野翼の背中にぶつかる天使。よろけて女生徒にぶつかる翼。悲鳴を上げる女生徒の上に倒れる彼の上にのしかかる天使。
 田中愛はバッと立ち上がった。挫いた足を引き摺りながら急いでその場を離れる。
「いたた、ご、ごめんなさい」
「いいから、早く退いて」
 謝る翼を下から睨みつける女生徒。廊下で足を引き摺る田中愛の背中に視線を向ける。
「誰よ、アイツ」
「アイツって?」
「アンタの背中にぶつかった女。つーか、早く退いて!」
「ご、ごめん」
 翼は慌てて体を起こした。手に残る柔らかな感触。フローラル系の甘ったるい匂いが、いつまでも彼の周囲を漂う。
 それにしても、どうして急に転けちゃったんだろう?
 困惑した翼は、憤慨する女生徒の背中を見送りながら頭を掻いた。
 階段に蹲る田中愛。スモモの様に腫れ上がった足首。
「アンタ、大丈夫?」
 先ほど、翼の善行の報いの犠牲となった女生徒。稀に、ほんの瞬間のみ天使を認識することが出来る存在。
 コクリと頷く田中愛。
 女生徒はため息をついた。天使の小さな手を握ると立ち上がらせる。
「歩ける? 肩貸してあげるから、保健室まで頑張りなよ?」
 天使のように微笑む女生徒。
 善行に対する報い。先ほどの不幸を帳消しにする幸。
 天使はそっと女生徒の顔を見上げた。
 

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