見出し画像

天職ってなんだろう

 皆さんは「天職」と思える仕事に出会えていますか。私はここ数年で何人か「これが私の天職です」と言えている人たちに出会いました。その時の清々しい表情には、なんとも言えない生命力を感じます。もちろん、そこに至るまでにあったであろうたくさんの苦労も感じられますが、それを乗り越えて、今その仕事をしていることが幸せそうなんです。今回は、そんなことから考えた、自分の“天職”っでなんだろーのお話。

□天職≠適職

 私は、アルバイトでもいろいろなジャンルのお仕事をさせていただいた方ですし、社会人になってからも比較的幅広くお仕事させていただいている方だと思っています。

○これまでのお仕事
・アルバイト時代
焼肉屋、カフェ、居酒屋、塾講師(2社)、スポーツウェア販売、ゴルフツアーバイト
・社会人から
まちづくり関連のコンサルタント、WEBライター、ワークショップのファシリテーター、イベント企画、特別講義の講師、図書館関連のお仕事、プロジェクトのデザイン


 どれも楽しかったし、どれもやり甲斐があったし、どれにも仕事中に私らしく自分を活かせる要素がありました。今辞めてしまったお仕事だって、やりたくなくなって辞めたものはなくて、いろんな挑戦がしたい、次のステップを踏みたいと辞めただけでした。

 けれどもそれは、それぞれの職業に対して幸い「適正」があっただけで「天職」って言えるくらいのことではないだろうなあ、と思うんですよね。基本仕事をしている時の自分が好きなので、適職ではなく天職に出会えたらもっと楽しく生きていけるのではないかと、最近は思ったりもします。

□教師という職業にがっかりした日

 子どもの頃は、弁護士か政治家になると言っていました。母の家系が政治家だったのもあって、なんとなく私もそうなりたいと思っていました。でも、小学校の時に恩師に出会ってからは、自分は教師になるために生まれてきたんだと思って中高時代を過ごしました。今でもその恩師とは交流があり、その先生に会うと、同じ教師という職業に就かなかった自分に「ほんとにこれで良かったの?」と問うこともありました。

 ただ、今思えば高3の時に起きたとある出来事が私の「教師」への憧れを見事に崩してくれました。とある誤解により校則違反の疑いがかかって、ある生活指導の先生に誤解を解こうと必死で訴えたんです。その先生は一度「分かった、〇〇先生(当時の偉い先生)に伝えておきます」と言ってくださいました。

 しかし一向に誤解が解けた様子がなく、〇〇先生と話す機会があった時に「この件が誤解だと分かってもらっていると思うのですが、今私は何のペナルティを受けているのでしょうか」と聞いたところ、何も聞いていないとのことでした。私は怒りと失望でいっぱいで、その後廊下ですれ違ったその生活指導の先生を捕まえて問いただしました。

 その時答えた、私の無実を晴らせなかった理由に「私の立場では〇〇先生に言えなかった」と言われたんです。そしてこのことをまた別の先生に相談したら「学校の先生にも難しい人間関係や派閥があるからなあ」と言われました。(特に私は私立のマンモス校だったのもあると思いますが。)

 生徒からすれば、良くも悪くも自分の人生に大きな影響を与えてくれる教師。今だって教師は素敵なお仕事だと思うし、周りにも頑張っている同期がいたり、私の人生の中では幼稚園から大学院まで、そして社会人になっても、ずっと「恩師」と思える先生方に恵まれてきました。ただ、そこにいる教員同士の大きな政治を目の当たりにした時に、その社会での政治に対応できる大人にならないと自分の中にある正義は貫けないのだ、と痛感しました。

□教育を諦めるずに違った角度から

防災教育の取り組み

 それでも当時はまだ教師になりたいと思って、早稲田大学の教育学部に進学。しかし、東日本大震災を機にボランティアで出会った大人たちの中で、ここでも良くも悪くも社会についていろいろ学び、経験し、失敗し、奮闘し「自分はまだ学校という社会で闘える人間じゃない」と感じるようになりました。

 教師になりたい理由やなるステップは人それぞれですが、私は恩師の先生方にたくさん助けてもらったり、信じてもらったり、励ましてもらって生きてこれたと心から思っています。だからこそ、そういう先生方のように自分も生徒にそういう存在になりたいと思った時、当時の私はあの高3の時の出来事がチラついて、まだまだ強い教師になれない気がしたのを覚えています。

 そして、大学院に進学してもうしばらく悩んでいるうちに、私の憧れた「教師」の役割は、決して学校の中だけじゃなくても築き上げられる(もちろん学校の先生にはなれないですが)部分があると思いました。なおかつ、世の中をたくさん知って、自分の感じたことや体感したことによって芯の強い人間に成長することが、誰かを励ましたり導いたり説得したり寄り添ったりする時に大切なことなんじゃないかとも思ったんです。

 こうして私は、根幹に「教育」がありながらも、さまざまな地域や人に出会いながら「人づくり」も考えることができるまちづくりの仕事に縁あって飛び込むようになり、今に至ります。

□一次産業を天職と言える凄さ

 最近は、まだお仕事には至らずほぼプライベートで学んでいるレベルですが、林業や農業の世界に飛び込み始めました。新しいことを学べるということそのものがわくわくして楽しいし、林業を学ぶと農業が、農業を学ぶと林業が、より理解できるようになりました。

 林業から学ぶ土壌や海や風のことが、環境問題にも意識を向けてくれたし、農作物や海産物への影響、食、健康などにも発展しました。あまりにも楽しくて「私、一次産業がやりたい!」と思ってしまうこともしばしば。

林業の学び

 だけど、こんな時にもふと思い留まります。私のしていることは、実際に林業や農業、あるいは漁業も時々お手伝いに行くのですが、こうした一次産業を生業にされている皆さんからしたら、お遊びレベルだと思うんです。もちろん遊びと思ってるわけではないですが、本業にしたらもっと見えないところで頑張らないといけないこと、たーっくさんあるんですよね。私も、ボランティアや体験レベルでなく、地域の一次産業にのめり込んでいくうちに「一次産業って凄い!」と素直にリスペクトするようになりました。

 そして、土地柄もあるかもしれないですが、私の周りでは「これが私の天職」と語ってくれる人の多くが、こうした一次産業に携わっている方が多かったんです。私は、こうした方々がまるで自然の神様から選ばれし者のようにも見えました。生命を育み、生命をいただき、生命を人間に与える一次産業。踏み込めば踏み込むほど、本当に奥深くて、凄いお仕事だと思います。

 虫も苦手だし、暑いのも嫌だし、汗もかくし、天候に左右されたり災害ですべでがゼロ、あるいはマイナスにもなるけれど、こうした仕事を「天職」と思える皆さんを思うと、その懐の広さみたいなものもリスペクトしちゃいます。私も、いつかそんな境地に至ってみたいという憧れも湧きます。

□好きなことを仕事にする

 今、一次産業に関心を持ち、好きになって、やってみたいと思う意欲が沸いていますが、過去にも好きなことを仕事にすることも考えた時期がありました。それがダンサーへの道です。

 10代の頃は、自分はダンスをしている時が一番自分らしくいられて、ダンサーの道を考えたこともあったし、その道がないわけでもありませんでした。ただ、逆に踊ることを仕事にして縛られたくないと思い、高校生の頃に教師かダンサーの進路で悩んだうち、教師を選びました。だけど、結婚を機に20年以上長年通ったモダンバレエを辞めたら、身体が踊れないことでストレスいっぱいになってしまったんです。なので、最近はフラメンコを習い始めました。

 また、書くこと、読むこと、話すことが好きだし得意だからと、そのスキルを活かせる仕事をしてきてはいるものの、上には上がいるし、まだまだ書く修行が足りていないと思うと自信も無くし気味になります。ただ、こうして今この記事を書いていること自体、書くことが好きだし書きたいからなんですよね。

 20代、さまざまなお仕事を体験した上で辿り着いた今の私の感じていることは、好きなことを仕事にできることは、幸せなことなんだろうなということです。フラメンコは仕事まではいかないもののお金をいただくステージで踊ったり、お金をいただきながら物書きをしたり、まちづくりのお仕事をしたり、畑や山に入ることができる。これは、幸せなことですよね。

□私の天職探し

私らしい働き方を探す時間

 今回、自分の整理のためにこの記事を書き、あまりまとまりない締めに入ろうとしていますが、自分に問い直しながらいろいろ考えてみても「私の天職はコレです!」と言える自信はまだまだありません。ただ、1本に縛らなくて良い働き方ができているのも私らしいなと書きながら思いました。

 好きなことを仕事にすることから逃げるのではなく、好きなことを突き詰めてみたいという気持ちに素直に向き合って仕事していくと、適職が天職と思える日が待っているのかもしれませんね。皆さんも今の仕事が好きか、天職と思えているか、どうしたら天職に出会えるのか、考えてみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?