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コロナ禍を生きる学生たちと話をしよう

 2021年、年があけて思い付きが多発中(笑)の私です。2020年にもがいた反動なのか、ポジティブにできることをやる、自分らしく突き進むことを取り戻す1年になりそうな予感がしています。「思い立ったが吉日だよ!」と言ってくれる人もいるので、自分の首を絞めない程度に思い立ったことにチャレンジしていこうと思っていますが、今回はコロナ禍を生きる大学生たちと話をしたいと思っていろいろ考えたことを整理しておきたく、ちょっと長くなりますが備忘録もかねて記します。

□大学生に吐き出してもらい、社会人が共に考える

 結論から言うと、今、コロナ禍を生きる大学生たちのリアルな声を聴くオンラインサロンのようなものを開催したいと考えています。とはいえ、現時点の企画としてはチャレンジ段階ですし、大学生からお金を取るつもりはありません。社会人側も無報酬です(笑)。でも、次の目的を持って、2時間程度のオンライン語り場を数回つくろうと思っているのです。

目的①:コロナ禍を生きる大学生たちのリアルな苦悩、不満や不安、欲しい機会や居場所を吐き出してもらうことで、共有する。
目的②:一見成功しているようでもさまざまな苦労を乗り越えてきた社会人たちからの話を聞くことで、困難を乗り越えるために何をしたら良いか一緒に考える。
目的③:大学生たちの”ために”、あるいは大学生と”ともに”できる機会創出やサービスを社会人も積極的に考えて取り組む。

 「コロナ禍を生きる学生たちの話を聴く」とカッコ付けて言っても、”話を聞いてあげる”というのは、私たちはカウンセラーでもないし、学生も参加もしづらいだろうし、オンラインで他人がやれる企画の距離感では求められていないと思います。もちろん、私たちにできることがあれば何かしてあげたいですが、専門家ではないため、責任も持てません。でも、だからこそ、今を生きる学生たちの程良いはけ口でもあり、なおかつわくわくが生まれる場をつくれたら、それは意味があることなのかなと思いました。

 そもそも大学生の“話を聞いてあげる”なんていうのはおこがましくて、逆に、学生たちの話を聞きたいのは社会人たちのエゴ、自分たちが学生たちに何かをしたいという社会人のエゴかもしれない、という点は否めないと思うんです。ただ、ここで大事なのは、エゴをエゴで終わらせるのではなく、話を「聞かせてもらう」分、私たちも提供できる情報やアドバイスを返すことで、お互いにメリットのある”あって良かった場”にすることができればそれでも良いのではないか、ということだと思っています。

 数回というのも特にシリーズ化というよりは、同じような場を複数設けることで参加の機会を増やすためです。1回やって満足じゃなく、何回か同じような場を設ければやる側もパワーアップしてより良い場を提供できるかもしれないし、学生も1回だけでも何回もでも、話をするのが楽しくなって何かのきっかけ掴んでもらえたらそれでも良いと思います。私たちは答えを与えることはできませんが、きっかけは少しでも多くなるように頑張ることができるので、やらないよりやる方が少しでもプラスになれる可能性があるならやってみよう、という思いで考え始めました。

□私の不安は大学生にも重なるかもしれない

 なぜこんなことを思い付いたかというと、それは、このコロナ禍の1年弱の私の状況は、大学生たちとも共感したり共有できることが多いように感じたからです。私は起業してまだ2年目なのに、仕事は大幅になくなるし、東京に行きづらくなるし、家族にも会えない時期があったし、他にもいろいろなことが重なって辛い時期がありました。そして、結婚して移住して、今いる場所は生まれ育ちが違う分、もちろん周りの人は優しくて、話は聞いてくれるし励ましてはもらえましたが、同じ立場でその辛さを共有できる家族や友達がすぐそばにいないのは孤独でした。

孤独になる時も

 これって、立場や年齢や細かい設定は違うものの、例えば地方から出てきて地元に帰ることもできなければ友達とも会うことすら控えなければならない大学生、あるいは東京にいても自分の夢のために大学へ行ったりバイトへ働きに出ることができない大学生、そして、最後の学生生活を心細く過ごす大学生など、さまざまな学年や立場の大学生と近いような精神状況だったのではないかと思ったんです。

 実は、実家で暮らす私の妹2人も大学生で、都内在住で電車で通学できる距離の大学ではありますが、このコロナで前半はずっと自宅、後半も月に数回学校へ通う程度という生活を送っていました。家族もいるし、一人ではないし、まだましな環境に置かれているとは思いますが、それでも、自分が思い描いていた学生生活が送れないことやコロナが怖くて全く外出したがらず引きこもっている生活、そして東京の毎日緊迫したコロナのニュースにストレスが溜まっているように見えました。

 彼女たちからしても「話を聞いてあげるよ」と言えば「別に大丈夫だよ」という感じですが「これからどうしたい?」「この先どうするの?」みたいな問いかけをすると「○○もできないし○○はどうなるか分からないし分かんない…」という不安がこぼれます。それを限られたジャンルの先生やほとんど会えない友人と話すよりも、たまに全く違うジャンルの大人たちと話す場があることで、ほんの少しかもしれないけど視野が広がったり安心したりするのではないかと思うんです。YouTubeなんかで気を紛らわせるこももしているようですが、やっぱり「会話」した方が良いと思います。それに、オンラインや動画配信に慣れてしまうことで会話を面倒がって欲しくない、とも妹たちには思うんです。

□誰かと分かち合うことで必ず前進する

 いろいろ困難なことが重なった昨年ではあったものの、それでも私が今こうして前向きな2021年を迎えられているのは、誰かと分かち合うことで”前を見つける”ことができたからだと思います。いつもお世話になっている学部・大学院時代の教授が企画したオンラインシンポジウムに声をかけていただき参加した際、私は「これまでなら”この道を進もう”ということを決めて突き進めたのに、今は前を向けずにいる」という不安をこぼしました。でも、参加している皆さん(大学生も生産者さんも教授もベテラン社会人たちもいました)からいろいろな話をしていただいて「前を向けていないのではなく、前を向こうとしているけれど今は向くべき”前”が見つからないから不安なんだ」ということ、そして「前を向くのをやめるよりも、向くべき”前”を探し続けていれば今まで出会えなかった”前”に出会えるかもしれない」と思うことができ、2020年の後半は私にとって”前探しの旅”となりました。

リモートの語らいの場

 そう考えを切り替えてからは「悩んでいる今」も「時間があったから手伝ったこと」も全部に意味があると思えるようになり、農業のお手伝いももっと積極的に行ってみたり、地域の行事もできるだけ多く行ってみたり、人の誘いに乗っかってこれまで全く絡んでいなかったジャンルに飛び込んでみたりしました。そして、そうやって自分の向くべき”前”探しをしていた結果、いつの間にかそれがお仕事に繋がっていたり、新しいことを学ぶ刺激でパワーアップしている自分を実感したりしています。

 あの日こぼした弱音、そしてその弱音をきっかけに交わした会話や個別にいただいた連絡、いつも話さない話をして理解してもらったことで他ジャンルからも南三陸で誘ってくださる方々…それらによって救われた部分が大きいと感じています。人と話をするだけでも気持ちが楽になる。だからこそ、そういう機会を私たちも開いていく意味があるのではないかと思ったんです。

□10年前と違う点

 私は教育学部・大学院も教育学研究科出身で、同期にも教員が多いです。そんな仲間たちと月1くらいでオンラインでの近況報告をしていたのですが、中でも大学で教えている友人から、コロナ禍での大学生たちの様子について聞いて心が痛みました。同じく早稲田でお世話になって今もお世話になり続けている大学の教授からも、どんどんモチベーションが下がってしまう大学生の環境を聞いて心が痛みました。中高生だって我慢していることは多いと思いますが、まだ大学受験などはっきりした目標が先に待っているということと、対面での授業も多いため、先生や友人とのコミュニケーションも取れています。しかし、大学は大人数になる分リモートも多いので、通学できなかったり先生とも個別に話しづらかったり、加えてアルバイトもしづらくなって金銭面に困っている学生もいるし、友人や家族と会えないストレスで沈んでいく学生もいるとのこと。

 私たちは東日本大震災の時大学生で、ほんの1ヶ月ほどだったけど大学が休校になりました。その時もいろいろ不安で、この先どうなるかなと思った記憶があります。中には地元が東北だった同期もいたし、就活や将来の方向性に大きく悩んだ学生たちもいました。そんな中で、学生たちは学生たちにできることを模索し、動き、少なからず世の中に貢献したり訴えかけたりしていたと思います。それを通じて仲間も増え、将来につながるきっかけをたくさん得ました。今の私も、あの頃の経験があってこその私です。

学生の頃

 今とあの頃の大きな違いは、このコロナ禍で、あの頃のように集まって、語り合って、共に動くことすら制限があるということ。ましてや今年度の新入生たちは、ほとんどリアルで会えていない同級生たちで、親交を深めることもままならない状況。教員たちはそんな大学生になんとか力になりたいと、授業前後も長めにオンライン部屋をあけ、雑談の時間を大事にしたりしています。それでも、研究室を訪ねたり何気ないキャンパスでの会話ほどの効果はありません。

 オンラインは、コミュニケーションをとるツールとしては便利です。でも、コミュニケーションを育んだりコミュニケーションを深めるにはやっぱりリアルには及びません。とはいえ今は、リアルで何か起こすにはリスクが付き纏うし責任も取り切れません。やっぱりオンラインに頼るしかない面は否めない。だったら「ないよりはあった方が良い」というアクションを起こすしかない!私がオンラインシンポジウムをきっかけに前を探すことを楽しめたように、オンラインでは解決はしなくても、オンラインがきっかけで学生たちの後押しになれば、あるいはきっかけになって個々の交流に繋がれば、と思いアクションを起こそうと思いました。

□学生たちの話を聴こう、学生たちと話をしよう

 そういう経緯で、私は今、社会人側で数人声をかけて、学生たちの話を”聞かせてもらう”ことで、社会人の私たちとしてもできることを考えて、それぞれの”前”を見つけるきっかけとなるような場を企画しています。例えばテーマを決めた方が良いのかなとか、もっと将来に繋がるようなためになるような話を考えた方が良いのかなとかいろいろ考えました。でも、そうではなく、シンプルに学生たちの1年、社会人たちの1年を共有して、どうしたらもっと世の中がより良くなると思うか、そのために私たちができることは何かを語り合うのが良いかと思っています。

 新型コロナウイルスの感染が拡大し始めて約1年。これまでは自分にいっぱいいっぱいでこんなこと考えていませんでしたが、こうしたシンプルな企画にも、話をしてみたら「意味があると思う!」と言ってくれる仲間たちがいてくれたので、これも私にとって新しい”前”になりました。1人でも「こういう機会があって良かった!」と思ってくれる学生が増えてくれれば嬉しいし、この取り組みを良くしていけるように協力してくださる社会人仲間が増えてくれたら嬉しいと思っています。企画したらまた書きますね(^^)

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