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消せない痛みが変えた過去

「過去は未来で変えられる」

映画の中の好きなセリフだ。
後悔でしかなかった私自身の過去は、確かに、未来が変えてくれたのだ。

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今シーズンも、いよいよプロ野球界に“春”がやってきた。
新たに入団した若い選手たちが、どんな活躍を見せてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。

プロスポーツの世界において、第一線で活躍を続けるのは並大抵のことではない。毎年、たくさんの若い選手が入団する一方で、ひっそりと現役を引退し、フィールドを離れて舞台裏に活躍の場を移したり、スポーツ界を後にしたりする人もいる。

応援している選手にも、いつかそんな日が訪れるかもしれないと覚悟はしていても、やっぱり寂しく切ない。

これまでも、そんな選手たちをたくさん見送ってきた。
その中に一人、思い出すたび胸の奥にチクッとした、小さな痛みを覚える人がいる。

そんな気持ちを活字に残し、整えておこうと思ったのは、SNSのタイムラインに流れてきた、一本の記事がきっかけだった。

Sports Graphic Number。昔から大好きな雑誌だ。
その中に、著名人が思い入れのある記事を紹介するコーナーがある。

その日、私が目にしたのは、元アナウンサーの女性が、野茂英雄さんの記事を取り上げているものだった。

野茂さんは、言わずと知れた元メジャーリーガー。
1990年に社会人野球チームから近鉄バファローズ(当時)に入団。
トルネード投法と名付けられた独特の投球フォームで、プロ1年目から投手4冠を達成するなど日本球界を圧倒し、1995年にMLBへ移籍。
ロサンゼルス・ドジャースをはじめ、数々の球団で素晴らしい成績を残して2008年に引退した。

MLBで2度のノーヒットノーランを達成するなど、選手としての活躍にスポットが当たりがちだが、私が心を動かされたのは2003年に、自らの手で社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」を設立したことだった。

2年後の2005年、そのベースボールクラブから、初めてプロ野球選手が誕生する。当時、NPBドラフト会議で5巡目に指名されたその選手のプロフィールを目にした私は驚いた。

出身地が、私と同じまちだったのだ。

当時、私はその地元で小さな情報誌の編集の仕事に就き、地域で活躍している人を紹介するインタビューコーナーを担当していた。

「どうしても、この選手に話が聞きたい」

しかし、いくら社会人野球チームとはいえ、こんな片田舎の、しかも小さな小さな情報誌を、相手にしてくれるのだろうか。

恐る恐る連絡を入れた私に、広報の担当者は丁寧に対応してくれた。そして「大阪府堺市にある練習場へ、21時に来れるなら」という条件で、取材を快諾してくれた。

地元から堺市の野球場までは、電車を乗り継ぎ3時間はかかる。一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが「行きます! お願いします!」と、電話機に向かって頭を下げていた。

当日は、17時に編集室を出発。最終電車では、その日のうちに地元の駅まで帰ってくることができないため、乗り継ぎ駅まで愛車を走らせた。1時間後には、帰宅の途に就く人たちの波を逆流しながら、駅のホームへ。高鳴る気持ちと共に、約束の野球場を目指した。

21時。やっとたどり着いた場所は、ナイター練習用のライトがわずかに照らすだけの、薄暗く殺風景なグラウンドだった。誰もいないマウンドには、冬の寒風がヒューヒューと舞っていた。

ホームベース裏にある小さな部屋に案内され、一足先に始まっていたグラウンドでの取材を眺めながら順番を待った。

あの取材陣は、どこかの新聞社だろうか。

改めて、私がここに来てよかったんだろうかと不安に包まれ始めた頃、「お待たせしました!」と、その選手がやってきた。

日に焼けた笑顔とまっすぐな目で話してくれたのは、プロの世界へ進む自分自身への期待。

およそ1時間ほどの取材に、丁寧に答えてくれたその人は、「ありがとうございました」と立ち上がる私に、遠く離れたふるさとから“押しかけた”ことへの感謝の言葉を、口にしてくれた。

最後に、グラウンドで撮影をしながら言葉をかけた。

「開幕スタメン、お願いします。期待してますね!」
「あはは、そうですね。頑張ります!」

しかし、プロの世界は当たり前だけれど、甘くはない。彼の入団したチームには、ポジションを争うには、あまりに大きな存在の選手がいた。

開幕戦のスターティングメンバーに、残念ながら彼の姿を見つけることはできなかった。その後も、彼が躍動する姿をフィールドで見る機会は、そう多くはなかった。

2016年に引退するまで、2つの球団に在籍し191試合に出場。通算成績2割1分3厘の打率を残し、彼は現役生活に別れを告げた。現在はコーチとして、最後に在籍していたチームのユニフォームを着続けている。

あの取材から、まもなく20年になろうとしている。

私もたくさんのインタビュー現場を経験し、数多くの人生に触れてきた。思うようにペンが進まない時や、伝えたいことが表現にならない時、悔し涙も飲み込んできた。

そして、たくさんの壁にぶつかる中で、気が付いた。人の気持ちの奥底の、あと一歩分の深みに想いを致してこそ、伝える場に身を置く者として、本当の役目を果たせるのだと。

その時からずっと、悔いていることがある。
「開幕スタメン、お願いします」
あまりにも、軽々しい言葉をかけてしまったことだ。

当時はもちろん、心からの応援の気持ちで発した、励ましのつもりだった。

しかし、ドラフト指名を受けるまでの努力や逡巡。仕事を終え、疲れた体にムチ打って、必死に白球を追い続けたであろう過酷な練習。そんな日々を乗り越えて、ようやくつかんだドラフト指名、そしてプロ野球の舞台だったはずだ。

喜びの裏にはきっと、さらなる厳しい鍛錬と熾烈なレギュラー争いに挑まねばならない日々への、相当の覚悟があっただろう。スタメンどころか1軍で、ひいてはプロの世界で、生き残ることへの賭けでもあったはずだ。

あの時、私はそんな彼の心の奥底に、想いを致せてはいなかった。もっと丁寧に、不安や覚悟にも寄り添った言葉があったはずなのにと、ただ後悔した。

彼はもちろん、あの夜の取材など覚えてはいないだろう。ましてや、軽くかわした会話など、記憶にないに違いない。

それでも私には、目には見えない想いの本質を丁寧にすくい取る、取材ライターとしての在り方を肝に銘じる分岐点になった。

かなうなら、もう一度、彼に話を聞いてみたい。

プロの世界で、存分に野球を楽しめたか。
野球を続けてきてよかったか。
そして、あの一言を謝らせてもらえるか。

何をしても、胸の奥底に残った小さな痛みが無くなることは、きっとない。だが、それでいい。あの日の消せない後悔は、この仕事を続ける限り、忘れてはならない自らへの戒めだから。

「過去は未来で変えられる」

誰かの人生の1カットを、心を込めて言葉で紡いでいこう。
明日も、あさっても。            (終)


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