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Half time Old「101分の1の本音」に思うこと

だんだんnoteを書くことが楽しくなりました。

ブログとか続かないタチだと思いましたが、意外にため込んでいる本音を書き連ねるという作業は楽しいですね。

自分の中にある矛盾だらけでチグハグな人間性が炙り出てくることは楽しくうもあり、情けないなぁと思ったり。そしてやっぱり身近な人の誰にもみられたくないなと思います(笑)

Half time Old「101分の1の本音」という歌

「宅配便で現実を送りつけて」というアルバムに入っている歌です。

日本テレビ系「バゲット」8月エンディングテーマ、日本テレビ系「誰だって波瀾爆笑」エンディングテーマとして、日テレ系の番組で流れたそうです。

MVはありませんでした。

この曲はとてもメッセージ性が高く、そして憤りの気持ちの中で書かれた詞になっています。初めて聞いた時、いろいろイライラしていたときに聞いたので、ふと引っかかるフレーズがありました。

100の善意よりたった1つの悪意に心乱されて

ーHalf time Old「101分の1の本音」より引用

平穏にすぎる毎日のなかで、たった1つの悪意が紛れると、その悪意で心がいっぱいになり、100の善意さえもどこかへ追いやられてしまう。そしてイライラした感情は100の善意を一つづつ蝕んでいく。

いつだって地味かもしれない、真面目で、正しいことをしているのに気づいてもらえない、そんな方に私は目を向けていたいと思っているのに、たった1つの悪意はそのことさえ忘れさせる力を持っていて。そしてそちらに気を取られる自分が腹立たしい。

白い絵具の中にたった1滴でも黒が混ざると、あっという間に真っ白なキャンバスは灰色になっていく。じんわりと、でも確かに染めていく。

白く戻したい、そう葛藤すればするほど、悪意に振り回されていることが多い現実とリンクし、心が痛みます。

苦しみも悲しみも生きてさえいれば
いずれは無くなるなんて
嘘ばっかりだふざけんじゃねぇ
一向に消えやしないぜ
かと言ってまったく心あたりが無いなんてこともなくて
楽しんだり笑ったりなんかできてる

ーHalf time Old「101分の1の本音」より引用

本当にこの通りですね。いつかなくなると思った感情は自分の中に留めて他に出さなくてもいい術を身につけただけで、心の中にグルグル一向に消えやしないのです。

若い頃は大人になったらそれさえ消化できると思っていましたが、大人になった今も消化することはなく、ただ時が過ぎ、消えゆく感情を忘れるのを待つだけになるとは思いもしませんでした。決して癒えることはなく、ただ忘れ去っていくのを待つ、そんな術しか持てない自分が正しいのか、周りもそんなもんなのか、それさえ言えずにいる自分をめんどくさいなぁと思ったりします。

溺れるほども出ない涙を拭ってどこかを見つめてるんだ
また違った明日がやってくるのでしょう

ーHalf time Old「101分の1の本音」より引用

涙を流すことは歳を追うごとに増えました。どうでも良いことならば。

でも、涙が出なくなったこともあります。自分の感情にのみ鈍感になったと思うのです。苦しくて、悔しくて、情けなくても、溺れるほどどころか、ただ一筋の涙さえ枯れてしまいました。拭う涙が羨ましいです。

きっとこれが大人になりきれないと思っている自分も大人になったということなのでしょう。だからなのか、こんなことも思います。

本棚を見れば人の人間性がわかるんだろうか
CDラックを見ればその人の人生が飾られているんだろうか
制服を見れば学生の将来がわかるんだろうか

ーHalf time Old「101分の1の本音」より引用

おそらく何か人間性や自分のことを決めつけられらのでしょうか。

「外見で何がわかるんだ」「学歴じゃねぇ」若い頃はこんなことも思ったような気がします。

ただ、残念ながら大人になった私には、本棚を見れば人の人間性の一部は見えると思いますし、CDラックを見ればその人の人生の一部が飾られています。制服を見れば学生の将来も全員ではなくともおおよそ決まっていると思います。

出現率の問題なだけですけどね。本棚は仕事や趣味嗜好を表しますし、CDラックもそうでしょう。制服はある程度の偏差値を表します。それと幸せは異なりますが、将来的な収入、将来的な環境についてはおおよその出現率があります。

例えば偏差値60以上の学校の100人集めたグループと、偏差値50以下の学校の100人を集めたグループでは将来的な選択肢は異なります。

繰り返しになりますが、決して幸せとはイコールではないです。幸せは定義が各人異なりますので、本人が何に幸せを感じるか次第です。

語り合う友は西の空
憧れの中揺れて溶けました
せめて流されず進めたら
濁流の先僕ら会いましょう

ーHalf time Old「101分の1の本音」より引用

最後はこのように締められています。

揺れる思いと、進めない自分、うまく隠せるようになった自分、そんな自分に落胆する気持ちを超えて、全ての清濁を合わせのんだ先の未来に希望が示されていて、Half time Oldらしい希望の表現だなと思います。

共感がど汚い感情を肯定する、そしてほんの少しの癒しになる

この詞はどんなに綺麗に取り繕ってもうまく隠れてくれないど汚い感情を歌っているように思います。行先のない憤り、病んだ感情、自分の感じる正しくありたい自分を表現できない葛藤。

ただね、そういうのっていつまで経っても誰かに話すことは難しい。やっぱり幻滅されたくないから。特にもう若くない私にとって、思春期でもあるまいに感情に振り回される自分がいることは誰にも知られてはいけないとさえ思ってしまいます。

だから、そっとこうした詞を眺めるだけで、感情を共感できるというだけでとても心穏やかになるもんだなと思います。恐れているものは皆同じかもしれない、振り回されているのは皆同じかもしれない。

だから、そっとど汚い自分の感情を肯定してあげようと思います。

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