【2019/08/06】ノンストップ・ライティング4(六井今日子)

日付は変わってしまいましたが本日も15分間でノンストップ・ライティングに取り組みました。誤字や変換ミスはだいたいそのままです。

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今日目にして興味深かったものってなんだろう。朝電車に乗るところで、今日は何だかいつなかった気がする。職場もべつだん印象深いものはなかったなあ。
明日になったらなにかかわるのかな、おなじことの繰り返し。帰り道、スーパーに立ち寄ってあまいものを買うか悩み、薬局で安い牛乳を買い、そのまま今日は終わり。
そうなると思っていたけど、本屋さんに立ち寄って、自分が応募した雑誌のなかに自分の名前を見つけたりして、ちょっと嬉しかった。私は本をつくっているひとはすごいと思っているんだけれど、本二携わる人の目に触れたであろうことや、あの日必死にしがみついて書留の郵便で送りつけたものがとどいていたことがわかり、ちょっと安心したし、自分が全くの無力ではないとわかって、少しだけ、ほんのすこしだけ良かったように思えた。
きっとあしたもなにも変わらない人生なんだろうな、ちょっとだけ結果みたいなものが出そうになっても、じぶんって何者にもなれないだろうし、同じ電車、同じデスク、同じような電話に出続けて、同じような帰路につく。明日からなにかできるだろうか、自分はどうしてこうも意志が弱く、ずっとずっとものをつくることができないんだろう。
でも、うれしいものはうれしい、中途半端なものだとしても、二年くらい絶望し続けたものに意味がない訳じゃないのかなって、思う。
あーあ、明日からも深夜ラジオを聞いたり動画を観たりゲームをしたりするだけで、今日みたいに気づいたら眠ってしまっているだけで、一日が終わったりするんだろうな。楽しい大人と楽しいものが作れる人間になりたい気がしながら、ほんとのほんとにゆっくりしか進めないじぶんがもどかしいですね。おいしいもの食べて、また明日から同じような繰り返しの人生をおもしろくできるように頑張ったり休んだりしなきゃな。
いつも面白いことをしている変な大人がいることは、深夜ラジオを聞いていればわかるし、こういった媒体があってほんとうに良かったと思う。彼らは音楽を愛していたり、くだらない話を延々としていたり、阿呆なはがきがとどいたりそれを読んだり、真剣に語りかけたりしてくれる。読者がいるって、聴いてくれる人がいるって、かくしんがあるひとは、どのような気持ちで生きているんだろう。誰かが聴いていると確信がある熱量で語るパーソナリティーは、ほんとうに誰かに宛てて話してるんだろうな。それってすてきだな。
ラジオでお話をしたり、すてきな小説やエッセイを描く人が居る限り、私は生きたいと思う。

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