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けんかはしない

けんかをしたときの、仲直りって難しい。

難しいことを知ってるからか、そもそもけんかをしないように気をつけてきた。付き合いが長い相手なので、相手がどんなことで不機嫌になるのかを熟知していた。だからけんかになりそうになると、言葉を選んだり距離をとったりする。かといって、相手の機嫌をうかがいながら、ビクビクしていたということではないし、自分を殺して生活していたわけでもない。

2017年の春。けんかをふっかけられているのか、と思う出来事があった。それは大切に思っている相手であれば、誰でもけんかになる出来事だと思う。客観的に見てもけんかは必至だった。

それなのに、けんかできないでいた。また言葉を選ぶ自分がいた。相手に怒るよりも、こんな時さえもけんかしないように舵を切る自分に腹がった。長い間けんかしていなかったから、けんかの仕方がわからなくなっていたのかもしれない。

ただ、その出来事から2年も経ち、家族として時間を過ごしていく中で、その時の記憶は薄らいでいった。「日にち薬」という言葉があるが、時間の流れは傷を癒してくれる。でも、忘れることはできないし、昨日だって「マイ・インターン」を観て、その出来事を思い出すシーンが流れ、まだこんなに涙がでるのかと驚いた。

けんかをしないようするという、私の選択を「それはマネしてみたい」と言う友人はいない。むしろ、「なんでけんかしてでも自分の意見を言わないのか」という疑問は投げかられる。

たぶんその答えは「そのやり方しかできないから」私の7ルールでもないし、この話をまとめるために作った言葉でもない。その傷つく出来事にさえけんかしないのなら、私は毎回その選択をするんだと思う。

本音がこぼれるとしたら、けんかできる人がうらやましい。厳密に言うと、けんかの後の仲直りがうらやましい。だって、相手との関係を続けたいと無意識に思っているから、けんかの後の仲直りをするんだ。けんかをするたびに、仲直りのきっかけを探したり、言いづらい「ごめん」を小さい声で言ってみたり。けんかが多くても、けんかから仲直りまでのもどかしい時間を、何度も味わえるなんてうらやましい。



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