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ワイデンティティーとは。

これは、とあるヲタくの独り言に近い走り書き。とにかく思うままに書いてみた。
ヲタくとしての自分がどうして今もヲタくを続けているのか、それを考える今、Wotaku Identity(ワイデンティティー)篇の答を導き出してみたいと思う。

もし最後まで読んでいただけたなら幸いだ。


●黎明期:憧れと恋心の存在、アイドル。

まだ青臭いガキだった。誰にでもそう感じる自分がいるのではないだろうか。

2009年頃から長いことアイドルが主軸の世界線で生きてきた。それはとても幸せで人生をより楽しんでいるような気がした。もちろん恋人もいなかった。でもアイドルに疑似恋愛を求めていた。同じ世界にいるんだから可能性は0じゃない。普段はネガティブなくせに、なぜか夢見る恋心のなかではポジティブの極みをみせていた。
今思えばそう感じることもある種のエンターテイメントだったのかもしれない。
この頃から私の中に後の"ガチ恋"に通ずる想いが芽生えたのだと思う。いや、それ以前の、もっとずっと昔からその気持ちは芽生えていたのかもしれない。2000年代に夢中だった安倍なつみだったのか、2010年代前半に夢中だった前田敦子だったのか、とにかく私の中に"推し(アイドル)=恋愛対象"という気持ちがあったことは否定できない。アイドルは、憧れでありそれと同時に私の中では恋心を具現化した存在だったのだ。

もちろん、今でも変わらない楽曲やライブが好きという気持ちはこの頃からあった。それが今でもヲタくを続けている理由でもある。
アイドルが共通の趣味として、大学やアルバイトでかけがえのない友人もできた。
人生を振り返る中で、この頃があったからこそ、今があると胸を張って言えるだろう。


●発展期:そしてリア充になった。

乃木坂46に夢中だったあの時代、なぜだかそれまでの"恋愛感情"はなかった。グループを応援していくことに重きを置いていた。
そんな中で、アイドルヲタくを通じて恋人ができた。つまり、リア充になった。自分で言うのもおこがましいが、この頃はこんな自分を好きになってくれる人がアイドル文化を通じてできたことが信じられなかった。
そして、今でも繋がっている年代や地域を越えた様々なヲタくとも出逢えた。
アイドルを応援する気持ちが、自分の人生を豊かにしてくれた。そんな気持ちになった。そうした点でも、リアルが充実していたのは間違いでなかった。


●最盛期:オープンワールドへ。

恋愛が終わった。意気消沈を通り越して何も考えたくなかった。失恋映画やソングに毎日泣いていた。自分がさらに嫌いになった。

そんな頃だった。私にとって尊敬する職場の先輩が、地下(ライブ)アイドル現場に誘ったのは。。。それまで感じたことのない新しい世界は、私を魅了しかしなかった。楽曲やライブがより近い場所にあって、アイドルと直接話して時間を共有できる世界だった。失恋していたことも後押しして、この世界に"愛する対象"を求めだしていたのかもしれない。そして、出逢ってしまった。鹿沼亜美に。

原宿物語というグループを応援している中で、たまたま足を運んだライブ。そこで彼女に出逢った。これが一目惚れなんだろうと感じた。理由はなかったからだ。ただ、好きで、いや愛おしくて、とにかくその想いを一秒でも多く本人に伝えたいと感じる存在だった。四六時中考えた。アイドルとしてではなく、女性として捉えていた。宇宙には鹿沼亜美とそれ以外だった。黎明期に養ったあの気持ちがここで爆発したのかもしれない。

この時期には並行した様々な推しとの出逢いがあった。自分を投影して応援していた工藤茶南、そしてアイドルヲタくになった意味を見出したPimm'sと出逢い、尊敬する郡司英里沙さんを知った。

あらゆる出逢いが総合的にこの時期の私を豊かにし、それと同時に病ませる原因にもなった。しかしながら、それすらも楽しんでいた。

物理的にも、感情的にも、まさにオープンワールドに辿り着いたと言えるだろう。


●低迷期:じぶんワールドカオス。

卒業、解散、アイドルにはつきものなこうした事象が重なった。まず尊敬していた郡司英里沙さんがグループを卒業した。浮気心を抱いた金子なつきが黒い疑惑で去った。すべてを捧げた原宿物語/monogatariが解散した。そして鹿沼亜美のいるONEPIXCELも解散した。自分が呪われているとすら感じた。本気でアイドルヲタくなんてやめてやると何度も思った。純粋に楽しみたいだけなのに、すべてなくなってしまったことに憤りを感じた。

そんな時、時代がコロナ禍に入って、いろいろな価値観が変わった。

だからこそ、自分自身も変わろうと感じた。それまでのアイドルが人生のすべてみたいな考え方や生活を辞めた。趣味の一つとして捉えられるようにリハビリをした。きっといろんなことを知ったから、学んだから、思ったよりも自然にそれを受け入れられた。

そうして気づいた。こんな状態の自分を支えてくれていた存在に。

そう、それもアイドルだった。2019年末に出逢った群青の世界、そしてそのグループの『未来シルエット』という楽曲。知らず知らずのうちに、私を支えてくれていた。結局、アイドルなんだ。だからこそ自分はヲタくでいるべきだとあらためて感じた。


●現在:推しとヲタくの最上級の関係。

ヲタくを辞めたいという意味ではなく、おそらく自分の中で最後のシーズンとなるヲタくストーリー。それが今だ。

第1幕:アイドルを知り、恋心が芽生えた。
第2幕:アイドルを通じて、人生を感じた。
第3幕:アイドルが、世界を変えた。
第4幕:アイドルを好きなのに、すべて消えた。
第5幕:アイドルと向き合い、自分を知った。

こんなとこだろうか。第3幕の最盛期で私のヲタく人生は紛れもなく一度幕を閉じた。2019年12月23日という日がその証明である。

コロナ禍にいろんなことを整理して、それと同時に始めた。noteでレポを書いたり、作詞やイラストで想いを綴った。そして何よりもツイキャスを通じて、自分の想いを言葉にして、共有することの大切さを実感した。その場があるから、誰かと話したり、聞いてくれたりすることがアイドルヲタくである自分をまたひとつ別の価値観に出会わせてくれた。

そうした中心にはやはり、推しがいるもので、現在の推しは群青の世界の一宮ゆいである。

過去に感じたガチ恋や、自己投影や尊敬。そのどれでもなく、どこか通じている存在。よくわからない立ち位置だった。しかし、彼女がいたから私はワールドカオスの混沌を乗り切れたんだと感じる。まぁ、彼女とのとある出来事で病んだ時節もあったわけだが、、、。そうした物語の末、私が思う一宮ゆいという存在、それは"対話できる関係"。こちらからの一方通行ではなく、双方のコミュニケーションがどこか今までの推したちよりも疎通できている気がしてならないのだ。

ここにきて、ようやく推しとヲタくの最上級の関係性を築ける存在に出逢えたと言えるだろう。

そして様々なアイドルを観るようになった。今まで知っていたグループも、新しいグループも。より世界が豊かになった。アイドルヲタくで病まなくもなった。こんなにもライブが楽しかったのはいつぶりだろうか。



2023年、私にとって今一度、ヲタくとしての新しい時代が始まる。これまでの自分が感じてきたこと、出来事はすべて物語の一部だ。それを踏まえ、今の私が何を考え、学び、そして行動していくのか。アイドルを通じて、未来を歩みたい。

たかがヲタくが偉そうなことは言えない。しかし、これは私の人生なのだ。だから私が世界の色を決める。

この先、ヲタくとしてこれまでの物語を語りながら、未来を話していく存在になりたい。私にとって、ヲタくでいることは、自らの個性であり、誰かとの接点であり、そして人生を彩る楽曲と出逢いなのだ。今までは享受するだけのヲタくでいたけれど、どんなに小さいかたちでもこれからはそれを発信していけるようなヲタくになりたい。これこそが私がヲタくを続ける意味であり、私のワイデンティティーなのだろう。

今まで出逢ったすべての推しとヲタくにありがとう、そしてこれからも出逢うすべての人によろしくと伝えていきたい。



最後まで読んでいただきありがとうございました。あくまで個人の考えや視点なのでその点はご容赦ください。何卒。



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