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複式簿記の実用性

複式簿記のシステムは15世紀のイタリアで数学者ルカ・パチョーリの手によって定式化された。そして、18世紀のイギリスでは複式簿記の教科書が多数出版されたが、小さな事業者からは複雑過ぎて理解できない!と言われ、反対に海外貿易(主に新大陸との貿易である)などを手がける複雑な取引をする業者からは単純過ぎて使えない!という不満の声があがった。そこで、それぞれの要望に対して「単式簿記 single-entry book-keeping」と「実用簿記」が開発されたという。

『ガリバー旅行記』などで有名な作家・経済思想家のダニエル・デフォーが提案した簡略化された簿記━━当初の単式簿記では利益を割り出すことができなかったため、19世紀にハットンが改良して利益を出す方法が加えられた。 これはあたかも、現代会計の〝包括利益〟には未実現の利益も含められてしまうので不便だという話から、従来の当期純利益も並記するようになったのに似ている。なお、包括利益に加えて当期純利益を並記することをリサイクリングというそうである。

また、〝単式簿記〟という名称は不適切なものでもある。というのも、単式簿記も仕訳を貸借二重記帳でおこなうからである。日本語でも当初は「略式簿記」と適切に和訳されていたのだが、いつの間にか単式簿記の訳が定着してしまった。しかし、だからといって、デフォーが考案した利益計算ができない当初の単式簿記を複式簿記に含めることもできない。なぜならば、複式簿記の本質にして目的である利益計算ができないためである。

一方、18世紀末、フランス革命の時代には、まったく反対により複雑かつ詳細な実務に対応するための複雑な簿記が開発された。米国貿易の経験を活かしてベンジャミン・ブースは『完全簿記体系』を著して、実際に使えるだけの複雑さを備えた簿記体系を考案し、シャイアーズやケリーもそれに続いたとされる(実用簿記)。しかし、今度は逆に個別の特殊な仕訳例が多過ぎて応用が利かないとか、使えないことはないが複雑過ぎるといった批判が噴出し、結局、略式簿記も実用簿記も両者ともに廃れてしまって、元の複式簿記に戻っていったのだという。

複式簿記による財務報告や貸借対照表の作成が法的に義務付けられるのはさらに時代が下らなければならないため、当時はそれぞれの商人が思い思いに結果のわかりやすさと自分の業態に合った記帳方法を模索していた時期だったのであろう。

(1,009字、2024.01.31)

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