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寂静

 読んで字のまま、ひっそりとさみしく思う。昨晩未明、パリの大聖堂が焼けた。森有正が生きていたら何を言っただろう。想像しても思いつかない。復活祭を前に辛いニュースだと思った。

 今朝、実家に残している書籍類のことで両親と電話した。実家も移転する。自分が「いつでも帰れる」ノスタルジーの源泉を失うというのは、考えてみるとさみしくなる。とはいえ、帰省のためにせいぜい年に一度か二度訪れるだけの場所である。記憶の中にある景色はもう心象でしか残っていない。

 最近「羨望」を覚えるようになった。いわゆる35歳問題にも似て、同世代や才気溢れる若者たちへの羨望を感じるようになった。たとえば、周囲に仕事で海外へ経費でおもむく人々がいる。うらやましいと思ってしまう。

 よくよく考えてみれば、それらは当人らの不断の努力の成果であって、ぼくのような生来の怠惰者には分不相応である。以前は、この論理を内面化し、納得していた。いまでも変わらないのだが、そこにさみしさが現われるようになった。老化なのだろう。

 一方で、とあるスタートアップについて友人より光栄にも声をかけて頂いたが、週二日の学内、週二日の宿直、残りの時間に原稿と研究と余暇と休日を突っ込む身としては断らざるを得なかった。

 結局、為すべきを為すしかない。当面は博論に集中せねばならない。ここまで来た以上は、やはり書かないと後悔するだろう。終の住処を探すには早いのかもしれないが、それでもノスタルジーと羨望ばかりに囚われないような形を持つにいたりたい。

 多少は古い街の外れで、寂静の中に茫漠と立ち竦んでいる。

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