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先輩の名簿

 中年にもなって先輩も後輩もないが、所属先の85年前の名簿を手に入れた。「京都帝國大學文學部學生名簿 昭和九年六月現在」だ。もはや個人情報ではなく故人の情報である。

 これを譲ってくれたヨゾラ舎は11月20日をもって店閉まい。4、5回だが、世話になった。中古レコードや音楽に関する古書の充実した書店であり、また神田古書街とのつながりで変わった本を仕入れるユニークな店だ。長身銀髪の店主はカッコいい年の取り方もあることを教えてくれた。

 宿直に出る直前にヨゾラ舎のツイートを見かけて、思わず自転車を駆った。先輩の名簿はぼくが持っておくべきだ、そう思ったからだ。

 半世紀後、50年を経た本の流通率は2%に満たないと聞いたことがある。いま出ている新刊の50冊に一冊だけが、2068年末頃まで生きている。他のものは歴史と記憶の彼方に消えていく。もっとも国会図書館やオンラインの文字列として残ることはある。

 2013年9月、沖縄本島北部にヤンバルクイナの生態展示学習施設が開館した。国頭村商工会が運営している。いわば村営施設である。村の底力と言える。この話には続きがある。天然記念物ヤンバルクイナを保護した結果、絶滅したと思われていたオキナワトゲネズミが発見され、現在、彼らもまた保護対象となっている。

 書痴は道楽だ。しかし、ときに過去の声を未来へと届ける文化的偉業を成し遂げる。印刷され、読まれて売られ、古本屋に並び、古書店の床や棚で寝るしかなくなったものたちは、ヤンバルクイナのように見栄え良いものではない。しかし、他のどこにもない人類史の記憶を、ときに教えてくれる。オキナワトゲネズミのように、絶滅したはずの記憶や声をもたらしてくれる。

 本は魚に似ている。数千、数万のオーダーで生まれて、僅かな個体が生き残る。生き残ったものの中には、当然、亀や魚、樹木のように人間より長生きするものたちがいる。だから古書を買うことは、彼らを一定期間預かることに他ならない。つまり、本棚と水槽は同じカテゴリーに属する。

 ヨゾラ舎は閉じてしまう。同様に全国の書店が消えていく、と聞く。それても、ぼくらは本を買う。いま文字を書いて文化を紡ぐ人々を支えるために。長く生きた動物への畏敬を示すように、数多の人手を渡りながら生き延びてきた本を愛するがゆえに。

 先輩の名簿とともに芥川龍之介「地獄変」第5版を買った。同書には「きりしとほろ上人傳」が含まれている。大正15年2月10日、1926年、いまから約93年前に生まれたこの本は一体何人に芥川龍之介を読ませて来たのだろう。祖父と同い年のこの本を、ぼくもやがて後の世代の誰かに手渡すのだろう。

 しかし今は、ぼくのもとに来た古書たちが、他の誰かのもとへ旅立つその日まで、彼らと暮らしたい。預かった古書たちは、いわばヨゾラ舎の小さな欠片となるだろう。ヨゾラ舎の軒に描かれた瞬く星にそんなことを思った。

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