最後のチェキ
いまや数少ないメイドカフェ。大学を出てすぐ通うようになったので、もう70年は経ったろうか。この前入ってきた新人ちゃんは、最初の推しの曾孫だという。彼女が卒業したときは泣きすぎて会社を休んだが、あの後、幸せに暮らしたのならば、本当にうれしい。当時、まだせいぜい5枚目だったポイントカードも、今では4,000枚まで、あと僅か。なんとか5,000枚に届きたいと思うが、おそらく無理だろう。どうせならキリのいい数字で終わりたい。
「旦那様がお帰りになりました」
「「「おかえりなさいませ」」」
もはや、ヴィンテージものになった玄関ベルが揺れる。昔は軽かったドアも加齢のせいか重く感じる。平日の午後、人少ない時間帯に、いつもの席に座る。思えば、多くいた喫茶店仲間も別のメイドへ逝ってしまった。もう何年前かわからない。空席に面影を見出してしまう。
いつもの席に座る。ティー・ロワイヤルを飲む。この香りは芳しい。新人ちゃんが入っているというのでチェキを頼む。手が空いたらしく呼ばれた。杖に頼らないと歩けなくなってしまった。
撮影スペースに立ち、自身のメイド姿に戸惑いながらポーズをとる新人ちゃんをフレーム内に収める。人工生体コンタクトを通しても、もう視界がぼやけている。あぁ、たしかに、あの「初めての推しちゃん」に似ている。あんな可愛い美人の曾孫がメイドになるのを見られたなんて、旦那様冥利に尽きるなぁ。
もうチェキのボタンを押すのにも指が震え、力を入れなくてはならない。少しのどが渇いた。新人ちゃんの笑顔がはじけている。万感の想いで、チェキのシャッターを切る。
カシャっ… ウィーン…
「旦那さま? …旦那さま⁉」
新人メイドの驚く声にオーナーが奥から出てきて、静かにうなづく。彼の車椅子を押すメイド長が事情を察する。チェキを撮った老人は、チェキを持ったまま動かない。
「あっ、あの、旦那さまが…」
「いいのよ、逝ってしまわれたのよ」
メイド長の瞳が少し潤んでいる。
年に数度しか鳴らない鐘の音が響き、閉店時間でもないのに「蛍の光」が流れ始める。同時に館内のメイド、500名が純白のエプロンとカチューシャ、リボンを外す。途端、天使が暗転したかのように、黒いシックな集団が表れる。
オーナーが経営する葬儀会社が到着する。毎年何件か、こういうことがある。最後のチェキを撮り、最期を迎える旦那様お嬢様がいる。警察も救急も慣れている。驚いているのは新人ちゃんだけである。
メイド長が通る声でいう。
「旦那様の御出棺です」
メイド500人が一斉にお辞儀をする。
「「「「「お気をつけて逝ってらっしゃいませ」」」」」
数分後、新人ちゃんがチェキを確認する。そこには、一人で映ったはずなのに、撮ってくれたあの老人が朗らかな笑顔でピースして、自分の後ろに白く写っている。さらに自分がどこか写真で見たことあるだけの曾祖母に似ている気がした。
驚いて見ていると、チェキが発色するにつれて、老人の姿は薄くなり、自分の強い角度だけが写っていた。ある旦那様の最期のチェキだった。
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