私家版・日本キリスト教史(1374‐2045)

 「髭の殿下」として知られ、ときに「赤い宮様」とも揶揄された三笠宮崇仁親王殿下と聞けば、何を思い浮かべるだろうか。昨年、学会発表でわざわざ京都から出たついでに、東京三鷹の中近東文化センターへと足をはこんだ。同所は古代オリエント、アナトリア関連の考古学・歴史学者として有名だった三笠宮殿下により国内の研究拠点として、また収蔵品展示を目的として設立された。

 円筒印章は複数ある。実寸模型でアッカド語(楔形文字)の洪水譚粘土板、ロゼッタストーン、ハムラビ法典、シュメール壁画、グデア王の彫像もある。小麦を石で挽く体験もできる。また三笠宮殿下のヘブライ語研究の私品展示も、運が良ければ拝見できる。キリスト教だけではなく、ユダヤ・イスラム関連にも広く興味のある方は、一度覗いてみると良いだろう。

 国際基督教大学、ルーテル学院大学、東京神学大学、中近東文化センターが肩を並べるこのあたりに「神学大角」という交差点がある。日本では珍しいかもしれない。神学大角は、中島飛行機・三鷹研究所の跡地になる。当初、技術開発のみならず幅広い総合研究を志したこの研究所は、太平洋戦争の荒波にのまれた結果、軍用機試験場、試作工場となった。のちに神学大角と呼ばれるこの場所は、日本の象徴・皇族、戦後日本のミッション系大学というキリスト教教育拠点が、国産航空技術、太平洋戦争という歴史に重なる交差点だ。

 そう思うと神学大角は「日本とキリスト教」の関係にとって縁深い土地といえる。だから、ここから、その両者の関係を、飛び石を踏むように一瞥したい。

 国際基督教大学といえば、同大名誉教授で神学者の古屋安雄氏が、最近、故人となった。1926年、上海生まれだった。今後、日本とキリスト教を考える際に必ず言及される人となるだろう。古屋と並ぶ神学者に大木英夫がいる。古屋と大木の共著で『日本の神学』(1989年、ヨルダン社)がある。

 『教会史をみなおせば、環地中海地域の時代、環大西洋地域の時代、そして環太平洋地域の時代と区分されるであろう。そこには中心の移動があり、問題領域の拡大がある。しかし、環太平洋地域の時代は最後決定的』だ、と古屋と大木はいう。(古屋安雄/大木英夫「環太平洋地域のプロテスタンティズム」『日本の神学』281頁)

 先回、キリスト教史を「神の五指」にたとえ、その指の隙間にある孤独としての日本列島を考えた。そう考えれば分かりやすいだろう、という話だ。太平洋弧という、神の指先がふれるか否かのあいまいな境界線、そこに日本がある。それは、古屋と大木が示した地中海から大西洋へ、そして太平洋へ、というイメージとも重なるだろう。もっとも、ユーラシア大陸を東へ、つまりソグド人隊商のようにシルクロードの果てへと向かう神の指先もあった。しかし、それについて語るのは別の機会としたい。

 日本キリスト教史をどこから始めるべきか。ぼくはいつも14世紀ユトレヒトのヘールト・フローテという男の話から始めることにしている。フローテは、10才で両親と死別するも周囲の協力で高い教育を受けた。しかし、18才から34才まで「野にて丘にて林にて、考えつくあらゆる罪を犯した」後、1374年に回心を経験した。のちに「共同生活兄弟会」を設立し、辻説法に励んだ。十年ほどの活動で約10の論文、80の手紙を残したが、教会より説教禁止命令を受けた。教会に抗いながらも、結局、失意の中で、1384年に死んだ。しかし、彼の人生はそこで完結しなかった。
 
 フローテの共同体から「キリストにならいて」のトマス・ア・ケンピスが出た。彼の名で記憶されるデボチオ・モデルナ「新しき霊性」の伝統は、やがて欧州全体の大学教育へと浸透して、各地の看板教授たちへと引き継がれ、その影響下に、エラスムスやカルヴァンを薫陶した教師たちがいた。結果、活版印刷技術を前提に宗教改革が起こり、さらに対抗宗教改革が立ち上がる。そして、1549年8月15日、バスク人たちが遠く日本宣教へとやってくる。フローテから200有余年、フローテの子どもたちが太平洋弧に到達した。

 大学一年の夏、八月十五日、終戦記念日にぼくは洗礼を受けた。当時はまだフランシスコ・ザビエルが日本に上陸した日だとは知らなかった。しかし、ある意味で、ぼくを含む日本でキリスト教に出会った人々は、フローテの子だといえる。数百年後の東洋人に子孫を騙られる彼には申し訳ないが、フローテが存在したからこそ、日本宣教があった。

 1384年、彼が息をひきとる間際、回心してからの七年、人前に立ち排除されるまでの三年を振り返って何を思っただろう。フローテは彼の生の意味を自覚できなかったのではないか。罪重ねた人生の果てに得た信仰の温もりは、教会からの冷たい処分となった。しかし、21世紀のぼくは彼がいてくれて良かったと思う。フローテなくして、日本とキリスト教の関係が始まらなかった。すなわち、実はフローテの生涯の意味は、彼自身の自覚と満足をこえて未来に開かれていた。彼の生涯は、ぼくらの現在という、彼にとっての未来において新たに理解されることで、過去として深められ意味づけられるのだ。こうして時間は対流し、歴史を形成していく。

 同様のことは聖書の中でもよく起きている。たとえば有名なヨブという人がいた。彼はひどい苦しみを受けて、最後は神に直訴する。しかし、神は、その苦しみの「意味」を教えてはくれなかった。のちに、預言者イザヤという人が現われて、ヨブの苦しみを背景に「苦難のしもべ」を書き記す。さらに時代は下り、苦難のしもべをモデルとして、イエスが現われて、キリストとなった。そして、神のことばであるキリストは聖書となり、神の五指を伝い、全世界に、太平洋弧に到達した。つまり、ヨブの人生の意味は、彼自身の自覚や満足を超えて、数千年の範囲という広がりの中で、初めて輪郭をあらわすものだった。

 キリスト教は、こうやって歴史の意味を考え思う。

 日本とキリスト教に話を戻そう。フローテの子どもたちが日本にやって来た。その後のことは、多くの人が知るように、切支丹の台頭、迫害、消滅、京阪切支丹事件の衝撃、維新前後におけるプロテスタントなど諸派の来日、デモクラシーや心霊科学との接近、戦中の沈黙、終戦後の西洋文化としての流行を経験する。加えて、司馬遼太郎によるイメージの膾炙、新興宗教と同じ形式での受容と消費、オウム事件による停滞、サブカルチャー化して現在にいたる。

 2005年、日本の総人口が減少を始めた。国内キリスト教人口は、それ以上の速さの減衰率となっている。日本語キリスト教の将来は、村の民俗や伝統芸能のような形で、または訪日外国人や労働者の宗教としては、残り続けるだろう。しかし、おそらく22世紀を待たず、戦後百年を迎える2045年には現状の教会は八割以上が消滅するだろう。その頃には、神学大角あたりはどうなっているだろう。戦前日本の空への夢の跡地に立つ、髭の殿下が親しまれた多くの収蔵品と展示をおさめる中近東文化センターは、どうなっているのだろう。フローテの曾孫たちはどうなっていくのだろう。

 ふとピクト人のことを思い出した。ケルト人、ゲルマン人以前にスコットランドあたりに住んでいたとされる人々である。刺青や絵画の才があり、それゆえピクチャーの語源となった説があるらしい。千年後、二千年後、または一万年後に、やがて日本人もそうやって発見されるときが来るのかもしれない。英語"abyss:アビス"が、アッカド語"apsu"に由来し、さらにシュメール語"abzu"へと遡及するような、遠い人類の記憶として、日本というこの国のかたちが、いつか再び人類に何かを語りかけるのかもしれない。

 そんなふうに、盛夏の京都鴨川に映える飛び石を見つめながら、ぼんやりと日本キリスト教史を考えている。子どもたちが水切り遊びで投げた小石の波紋が揺れた。いつか向こう岸まで届くだろうか。

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波勢邦生

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