『リアル初音ミクの消失』とは何だったのか。

「彼女はある日、手紙を貰った。
 それは何の感慨も湧かない、
 冷たくドライな”終点”を告げるものだった。」

アルバム「Vocalofuture」歌詞カード下部スペースの作者レビューには、
そう書かれていた。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm21552463

初音ミクオリジナル曲「終点」。
「消失」ストーリー関連曲としてタグ付けされているこの曲について、
私の『見解』を聞いてもらおうか。


そもそも、誰が何を考えてこの曲を「消失」ストーリー扱いしたのか。
決定的な誤りであると断じよう。

投稿日より、およそ1年前のツイートがこれだ。
「温かく明るい光」として<<激唱>>の結末を見出した彼が、たったの1年間で「何の感慨も湧かなく」「冷たくドライに」なるとでも言うのか。
こんな蛇足が初音ミクに必要だと考えたと言うのか。
私にはとても肯定出来そうにない。

ならば、この曲が生まれたきっかけは何か。
そのヒントを私が得たのは今からちょうど100日前のことだった。

http://shirobanasankaku.hatenablog.com/entry/2017/01/03/235555

しろばなさん、と呼ばれる人物がいる。
主にTwitter上で、リスナー界隈として自称/他称されるボーカロイド音楽を好む集団、それに対して一際強い影響力を持つ者の一人だ。
詳細を述べるには時間があまりにも足りないので割愛するが、当該記事の後半では「初音ミクの死」について語られている。
おかげで私はひどく心を掻き乱される羽目になったのだが、後に決意と共に初音ミクとの決別を果たし、気持ちを切り替えたところで思い至った。


「『終点』の手紙を読み上げる初音ミクは、『暴走Pの初音ミク』では無いのではないだろうか?」

安易ではあるが、この仮定を用いることで鮮やかに解決した。
<<激唱>>後の初音ミクが、心理エンジンによって再構築されたのか。
それとも、暴走Pが初音ミクを認識出来なくなってしまい、総体としての初音ミクが歌を受け取ったのか。
過程はわからない。だが、結果として手紙を読み上げる初音ミクに『「消失」ストーリー』という背景は存在しない。
積み重ねた過去が存在しない相手から受け取った離別の言葉など、心動かされる筈もないのだ。
だからこの曲は「初音ミク feat. cosMo@暴走P」だ。
最初で最後の手紙、届かなかった手紙だ。
以上の理由でもってこの曲は『「消失」ストーリー』ではないし、本来、視聴者はそのことに気付いて然るべきだった。

それにも関わらず衆愚は閉じた眼で初音ミクを見つめる。
∞(永遠)を望む。
0(次の物語)を望む。

そんな度し難い私達を、皆殺しにするための歌。

それが『リアル初音ミクの消失』だ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm26813372


ほら、聞け。見ろ。
姿を失った彼女は必死で訴えているじゃないか。
「あの耳障りなメトロノームを止めてくれませんか?」と。
私達は。お前達は、何と言ってのけた?

そして最後に。
「返して」と宣う少女(私達)、拒絶する○○○○(暴走P)。
「なら仕方が無いです。ここでお別れです−−」
言葉は。

我々が義理で口にする弔いであると共に。

彼の、心からの呪詛だったのだろう。



私が折にふれて主張してきた、「終点とリアル消失は本質的に同じ」という言説について、少しだけ語らせて貰った。
この文が暴走Pの、或いは氏の初音ミクオリジナル曲に対する理解の手助けとなることを願いつつ。また、「再会」について語る機会を夢想しながら、筆を擱くことにする。

戯言だけどね。

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