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いまさらながら映画ドラクエについて

どうしてもこの映画の感想は不特定多数の人々に共有したかった.

理由は,ドラクエが好きだからだ.ただただシンプルに好きだったから,どうしても共有しくて,さっきnoteのアカウントを作成してきた.

ドラクエとは究極の一人称ゲームである.

ドラゴンクエストは,ユーザーが主人公となり,魔王を倒すための冒険物語あり,日本を代表とするロールプレイングゲームである.そう,ドラクエをプレイする上で大切なことはユーザー自身が主人公なのである.

そもそもゲームは視点により2種類に分類される.

一人称視点のゲーム

プレイヤー自身が主人公になりきっているゲームだ.例えば,今は懐かしい"ゴールデンアイ"、日本中の男子が密かにプレイしたであろう"ときめきメモリアル".世界で最も楽しまれているゲームの一つである"Call Of Duty"

三人称視点のゲーム

プレイヤーはあくまで観客としての傍観者の立場になって,ストーリーを楽しむゲームだ.決して終わることのない"ファイナルファンタジー"シリーズ,初めてプレイした"スーパーマリオ",e-sportsでは欠かせない"ストリートファイター"シリーズ.

もちろん,ドラクエは一人称ゲームの代表である.その理由の一つが主人公にセリフがないからである.あらゆる場面において,セリフがないからこそ,プレーヤーの喜怒哀楽に委ねられているのである.この点で,同じ大ヒットゲームであるファイナルファンタジーと全く異なる作品であることは言うまでもない.

映画とは三人称の立場としてストーリーを楽しむ娯楽.

映画とは1人の観客となり,スクリーンの物語を楽しむためのものである.仮に自分が主人公の物語だとしても,観客という立場になれば,そこには客観性が生まる.

ゲームにおいて,一人称の代表作品である"ドラゴンクエスト"を映画化することは,三人称の立場を取り入れる必要不可欠になる.

ドラクエを映画化すると,

ゲームとは異なり,我々はどうしても観客という立場になってしまう.したがって,三人称の立場で楽しむ必要がある.もっとシンプルに表現すると,誰かがドラクエをプレイするのを観るという構図の中でしか楽しめない.

以上をまとめると,表現の仕方はどうであれ,今回の映画化は想定の範囲内に納まっている作品になる.

余談

スラりん役の山寺宏一氏は,大人気アニメシリーズ"ソードアート・オンライン"の茅場晶彦役も担当している.今回の映画との繋がりを偶然と捉えるのか,必然と捉えるのかは,人それぞれの解釈によるが,個人的には必然と捉えたい.理由は,ソードアート・オンラインの中では,茅場晶彦によりVR技術のほぼ全てが彼の理論を元に組み上げられているからである.

今後,ゲームの一人称化が加速していくと考えられる.ゲーム機の進化により,リアルタイムに自分の感覚を反映させることができるようになっていくだろう.視覚,聴覚,触覚,だけでなく嗅覚や味覚に訴えかけるゲームがでてくるだろう.これらを表現する一つの形としてVRやARは,今後のゲーム進化を牽引する表現方式であり,生活に欠かせない存在になっていくのであろう.(ちょっと言い過ぎかも)

映画作成者とは関係ありません.

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