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Watch over : 見守る・信頼するということについて

Messages from NGC3370

今日は、「NGC3370 渦巻き銀河」からのメッセージです。


私は誠意と敬意とをもってあなたにお伝えいたします。

見守ることを学んで下さい。

見守るとは放任することでも、単に容認することでもありません。

見守るとは、理解と忍耐をもって相手を手助けしようとすることです。

しかしそこには一切の押しつけも、過干渉もありません。あるとすれば、傾聴と対話であり、自分の考えを主張したり、強要することは全くありません。

あくまでも、相手の立場、理解度を尊重し、相手が自らの力で気付き、成長して行くことができるよう援助することです。

相手の為にと思ってすることが、自己満足に陥ってしまわないように留意しましょう。

このメッセージがきたのは、あなたにそれが可能だからです。

まずは相手を理解することに努めましょう。勝手な自己判断や、うわさ話に惑わされないように注意して下さい。人のすべての行為、行動には裏付けがあります。それは対話して初めて明らかになってくることです。

ですから、近づくことをあきらめないでください。それには長い時間がかかることもあるかもしれません。しかし誠意と敬意をもって近づくならば、かならず心を開いてくれる時がおとずれます。

誠意と敬意を忍耐をわすれないで下さい。


信用と信頼の違い

このメッセージに関しては、アドラー心理学のアドラーさんのお話がとてもわかりやすいので、そこから引用しますね。

アドラーさんの言うところの「信用と信頼」は次のような感じです。

「信用」とは、条件付き。

つまり「〜だから、あなたのことを信用する」という言い方をします。

これに対して、

「信頼」とは、無条件。

相手の状態に関係なく、相手を信頼していきます。

そうやって、世の中を見回してみると、殆どの関係性は、ほぼ「信用」(つまり条件付き)の関係で成り立っているように見えますね。

「○○だから、あなたのことを(信用)します」

といった条件付きの関係性は、ありとあらゆる場所で見ることができます。

これ、親子関係でもよく見ますね。

「勉強頑張ったから、○○していいよ」みたいな。


そもそも、「信用」という条件付きの関係は、本来的にはビジネスの概念なのです。

銀行などで貸し借りを行う時は、返してもらうための条件がつきますね。

そう見ていくと、「信用」の関係性というのは、自分が損しないための条件が含まれているということなのです。

損しないとは、つまり、傷ついたり、裏切られたり、危害を加えられたりしないということです。

このような関係性は、ある意味で自分本位ですし、自己への執着を元にしています。

これに対して、無条件の信頼とは、他者への貢献をする上で、欠かせない概念です。


人はみな不完全であることを認める

アドラーさんは、すべての悩みの原因は対人関係にあると教えました。

人が最初から一人で生活していれば、生きるための工夫は必要でしょうけれど、悩むことはなくなります。言葉もいらないし、どんな格好をしていたってよいし、何をしていても構いません。孤独という概念すらないでしょう。

しかし、実際には、人は一人で生きていくことができません。

社会という共同体の中で生活する必要があります。

そのような中で、すべての人が自分のことだけ考えて生きて行ったらどうなるでしょうか。

恐らくそこは、弱肉強食の無法地帯となるでしょう。

それに比べたら、「信用」で成り立つ世界のほうがまだマシかも知れません。とりあえずルールはあります。

それに、無条件に人を信頼して、危害を加えられたら困るという恐れもあるでしょう。

アドラーさんは、「無条件に安全をゆだねろ」とは言っていません。

誰でも完ぺきな人はいない、人はみな不完全な存在であるという立場に立って、みんなそれでいいのだとするところから、信頼関係が始まるというわけなのです。

もちろん最終的には、傷つけられても、裏切られても、相手を信頼することをやめないことが大切だと教えました。

なぜなら、他者を傷つけたり、裏切ったりするのは相手の課題であって、自分の課題ではないからですね。


心の傷とは

そもそも心の傷というのは、過去の未完了の感情からきています。

傷は他者から与えられるものではなく、相手の振る舞いによって生じた感情に執着することでできるものです。

生理的に起きる感情の反応は5分以内に終わると言われています。

ところが、思考がそれをコピーして、思考的にそれを持続させようとします。つまり5分以上続いている感情は、思考がコピーしたニセの感情なのです。

どうしてコピーするのでしょうか?

その感情を使って、なにか目的を達成しようと思うからです。

その目的は人それぞれですが、目的があって感情を使うわけですね。

こうして、いつでもそれが使えるように、痛みの記憶と感情を結びつけて、同様のシチュエーションがおきた時に、スイッチが入るようにするわけです。

これが「傷」の正体です。

こうして、その昔に作られた「傷」に誰かが触れた時、スイッチが入って「傷つけられた!」となるわけですが、これは明らかにその人の課題ですね。

(※注:具体的に暴力を振るわれる時は課題云々の前に逃げて下さいね!!!)


それでも相手を信頼する

まず、自分の課題と相手の課題をわけて考え、自分の課題は自分のこととして解決しようとします。

その上で、相手を信頼していこうとします。

信頼していった時に、相手は、あなたが傷つくようなことをいったり、裏切るようなことをするかも知れません。

自分に「傷」があれば、悲しくなったり、怒ったり、裏切られたと思うでしょう。

その時は、ただ悲しめばよいし、怒ればよいのです。

ただ、傷が癒えていれば、悲しくもならないし、ニコニコ笑って見守れるでしょう。

そうしてなお、信頼し続けるのです。


そうすると相手はどうなるでしょうか?

傷つくようなことをいったり、裏切るようなことをしても、相手が信頼し続けてきたとしたら...

おそらく、同じことをし続けるのは難しくなってくると思います。

逃げ出すか、心を入れ替えようと思うかもしれません。

それはわかりません。相手の課題ですから。

でも、少なくとも、あなたは平和を手にすることができることでしょう。

そしてそれは、他者に貢献したということでもあるのです。

信頼された側は、信頼されることによって喜びや幸せを感じます。

そしてもしかしたら、そのことによって、その人が持っている傷が癒やされることのきっかけになるかもしれません。

こうして人は、信頼する人へと変わっていくことができます。

そしてもう1つは、他者を信頼することによって「自己受容」できるようになっていくということでもあります。

それは、他者を信頼することと、自分を信頼していくことが同時進行だからです。

つまり、他者を信頼することが、自信を高めることになるのです。

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