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何者でも無いもの≠無業者と無職者とシゴトの狭間 自由≒不自由 生きている事の価値

#私の仕事

仕事とは

とはいえ実の所、私は無業者と呼ばれる部類に入る。

ところが、日本人は特にそうなのかもしれないが、仕事をしているかどうか、で人間かそうでないかが決まる。
無職である、ということはすなわちそれだけで仲間外れということなのである。

しかも、働く、と言った場合には「就労」のみが労働ということである、という風潮がある。
その根拠は発達障害やひきこもりの支援にせよ、生活保護の出口にせよ、「就労による労働」のみが基本的に想定されていることは、経験者なら明らかに知っていることである。役所が生活保護者に、希望するなら自営業や自由業をやってみれば、などと言う #福祉事務所 の担当者はまず余程意識が高くない限りは居ないであろう。

人間とは本質的に #自由 でもあるし #不自由 でもある。
すなわち次の瞬間の行動について選ぶことが出来るし、複数の中から選ぶことも出来るし、白紙に絵を描くなら何を書いてもよく、紙を破っても良いという意味で自由である。
余談として、#クリスチャン であるわたしは #自由意志 というものに非常に価値を置いてもいる。

だが、人はそのままでは空を飛べず、永遠に生きることも無いし、なにがしかを飲み、食べなければ死ぬ、といった意味で、無制限の #自由 は形而下(現実の具体的な事柄)には存在していない。

さて、その上で僕はかつても今もほぼ #ひきこもり に近い生活をしている。生まれも育ちも能力の足らなさも、どれもが原因に思える抜け出すことが出来ない沼の中でやっとその沼では溺れることは無いのか、ともがくのを辞めたのである。

はじめに言葉があった。(聖書、ヨハネによる福音書第1章1節より)

言葉とは意味されるものであり意味するものである。

ひきこもりでもある時ある人に言われた事がある。

ある他人にとっては君の能力は #魔法 みたいなものなのだ。ひきこもって一日中パソコンをやり続けても苦もなく、お金を節約するために自作でパソコンを難なく作り、新しくでてきた様々なサービスやITの道具を説明もなく難なく使いこなす。

つまり持って生まれた #リテラシー適正 の差なのである。
#リテラシー とは日本語で言うと「言語などの文法読解使用能力」のことである。転じて、適切に何かを扱う能力をも指す。

そこでわたしはその人に、 #ソーシャルイノベーション を始めたら、というのである。
なにやらソーシャルなんちゃらと分かりにくいがようはそれは日本語では #社会的起業 というのである。

仮に福祉から抜け出せなくても自分の力でいくらかを稼ぐのは不可能ではないことだと。
であるから「 #パソコン先生」を勝手に名乗って仕事をしていますと言い張れば良いのだ。という。

私は当初その考えに対して非常に違和感を持った。
実力もないのにアーティストを名乗っているにんげんのようにみっともないし、だいいちそんなの詐欺のようなものでは無いのか。と。

だが私は #双極性障害 や高機能?(知的障害ではない?) #広汎性発達障害 といった障害があり、他に活路があるわけでもなく、ホームページを立ち上げてその仕事をすることにした。

別に嘘をつく訳では無いし、自分については正直に説明をすればいいではないか、やれるだけやり、その報酬は相手に主導しつつ相談して立てれば良い、今よりはマシであろう、と。

その結果として、お客様に対して、対人関係スキルの欠乏による絶望的な奇妙な振る舞いによって、私に対して仕事をくれる人もやはり大概は奇妙な人達ばかりであった。

たとえば、「実はちなみに私は集団ストーカー被害者についてのグループやっているのですが」とか「なぜだかわからないけど仕事をクビになり続けるんです不景気だからですワードくらいは使えるようにならないと行けません1000円で教えてください」といった人達ばかりが私に連絡してきた。

その事で自分の精神をやられ、ホームページはやめ、仕事は人間関係の中で頼まれた時に一種の #特技としての屋号 を名乗ることにした。
#コミュニティエンジニア (地域の雑技術者)です。と。

資格としては #ITパスポート という国家資格はなんの勉強も必要なく試験を受けただけで通るくらいには、自己流なりに基礎知識はあった。
こうして最低限の自尊心と自信を、微妙な国家資格を取得したたという事実だけを担保にして、私はそれを堂々と名乗ったのである。

過去には #夢束 という文芸同人誌を文学フリマ他で140部売ったということもある。130ページで700円という売価であった。
ある人から言わせればもはやお金をそれでとったのだからプロなのです、という。
その #Yahoo グループメーリングリストには400人ほどがいて、文章や創作や文芸に関わる人であれば誰でも参加できます。切磋琢磨しましょう。という趣旨のメーリングリストであり、今で言うと無料のオンラインサロンという所だろうか。ちなみに今はもうない。

果たしてプロフェッショナルとしては微妙な気もするのだが、引きこもりについて調べた時、理想が高すぎるのである、現実はもっと低いところもある、という一節をある場所で見た事が思い起こされた。

それによって僕は何ら現実は変わらないものの、「立場」を獲得したのである。

#きっと何者にもなれないお前たちに告げる。


とは #輪るピングドラム、というアニメに出てくるフレーズであるが、まさに私は何者でも無いものから何者か、であろうとした。

それは自分自身しか認めていないに等しい危うい立場であるし、2004年頃はここまでインターネットは個人がお気楽に収益化が可能な場所ではなかった。
信用というものについて、数値にもできず、ただひたすら苦痛のときを過ごした。

だが2020年、 #Braveブラウザ というブラウザがやろうとしていることは、広告はほぼブロックしてくれるが、許可した広告は広告を見るだけでお金になる、ただインターネットをやっているだけでお金が貰える、という世界である。

なににも従事してなくて暇だとインターネットばかりやってしまう人々にとってこれほど魅力的なものはないだろう。


世界の方も #貧困 をなんとかしたいと歩み寄ってくれているのだ。という #社会への信頼 を新たにさせる出来事ではないか。

仮想通貨というものがある。電子通貨とは別のものである。それを作り出すとき、その基盤となる #ブロックチェーン という技術は、ある日本人の名前のような名前の謎の人物がインターネットに論文を突然発表したことがきっかけになっている。

まるで #seral_experiments_lain の世界を地で行くかのごとく、あるいは都市伝説のごとく、謎のままの人物が、生み出した基盤となる技術を応用して作られた #ビットコイン はしかし現実の価値を持つようになり、莫大な価値を生み出した。
今のビットコインの価値はやがて毀損されてもそこに現実に貨幣を投資した人間がいて、損をする人がいる以上、 #信用創造 が行われ、それで奇妙かもしれないが世界の富の全体は増えたのである。
(それがチャイナバブルの崩壊を緩和させたという見方も想像にかたくない)

信用創造について知りたい方は #お金の仕組み 、などとYouTubeを検索してみれば良いが、ここではつまり、おカネとは借りる人がいて、そして利息とともに貸し倒れが発生するからこそ、そこで初めて世界の通貨の総量が増えるのだ、ということを知っておけば良い。

人は『オカネ』によって相互に依存しあっている。それはどんな社会主義でも共産主義でも逃れえない。どんな国も鎖国して #国家的ひきこもり をやっても、他の国の影響を受けざるを得ず、仮に火星に移民ができようと、宇宙ステーションであろうと、他者の存在を認める限りは、月と太陽があるかぎり、結局運命を共同することになる。

#仕事 をしていないから価値がないなどと言うのはそろそろやめないか。それは #生きている事の価値 を壊している。

仕事とはWork Action (Activity) Employe の3要素であるとある外国人は語った。

日本では #私の仕事 とはEmploymentすなわち労働者であるということだと思われている。

だが、Workという意味でなんらかを生じせさしめ、(この文章を作成するのもワークである)
Actionという意味で身体で行動するのも立派な仕事なのだ。

#うんこ製造器 を恥じる必要はない。

なん中の意味で誰もが働いているのである。すでに、だれもが。

他だ単にあなたがいつもしていることが他人の役に立つようにするだけで(なっているなら)、それは #シゴト になるのである。

#中国 では #物乞い すらも #WeChatPay#QRコード をぶら下げて歩いているという。

ただそれに気がつくだけで良い。

そう、月と太陽があるかぎり。

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西野績葉

i'm not alive. i wish i believe technology and the peoples. 情念と、感覚とノリと方向性を決めることと、コンセプトを決めることぐらいでしか設計した通りに意図した通りには、小説などが書けない人
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